わずか4年前まで、建設会社の派遣事務として働いていたプチプラのあやさん。現在は、SNSの総フォロワー数190万人超の大人気インフルエンサーとして独立。社員数名を抱える経営者として、なんと年収2000万円を稼ぐまでになっています。
アパレルの経験も、特別な資格も、技術も、何も持っていなかったあやさんは、「まさか、好きでやっていたことがこんなに大きな影響力を持つようになるとは思ってもいなかった」と振り返ります。
※本稿は、プチプラのあや著『月収18万の派遣社員だった私が、「好きなこと」×「SNS」で年収2000万になれた37の方法』から一部を抜粋編集したものです。
私が「プチプラ」を好きになった理由
私が「安くて質のいいもの」─低価格なのに機能面が優れていて、流行も取り入れている「プチプラ」のものが大好きになったのは母の影響です。
倹約家であり、服飾の専門学校出身でもあった母は、ただ「安い」だけでなく、「安くて、いいもの」を探すのが、とても上手でした。
だから、ショッピングといえば「ファッション 市場サンキ」や「ファッションセンターしまむら」でした。
これらの店には幼稚園のころから母に連れられて行くようになり(私は覚えていないのですが)、小学校に上がるころには、私自身も「安くて、自分が着たいと思える質のいいもの」を探すことを楽しむようになっていました。
「安かろう悪かろう」という言葉がありますが、上手に選べばそんなことは全くありません。
母は洋服の素材などにも詳しく、「これはシワになりやすい」「縮みやすい」「こっちの素材なら大丈夫」などと、よくアドバイスしてくれました。
高校生くらいになると、周りの同級生たちは、次第にブランドものに目覚めていきました。
当時は有名海外ブランドのセーターが流行っていて、私も「いいな」とは思っていましたが、「お小遣いを貯めて買おう」とは思いませんでした。
プチプラのお店に行ってよく探せば、有名海外ブランドの5分の1や10分の1くらいの値段で、海外有名ブランドと同じようなデザインや素材のものが買えます。だから、「ブランドのラベル」だけのために何千円とか1万円とか、そんな額を費やす気にはなれなかったのです。
高校生になってからも、私はプチプラのお店に通いつめていました。
以前より行動範囲が広くなり、いい商品を激安の卸価格で買えたりする上野などにも、よく地元の埼玉県から足を延ばして行きました。
1つのお店で安くて質のいいものを見つけても、「ほかのお店には、もっと安くて質のいいものがあるかもしれない」と思うと、たくさんのお店を行き来することになります。
そのお店めぐりに友達を付き合わせるのは悪いので、高校生くらいからは、いつも一人でショッピングに行っていました。
そうやって見つけた「安くて質のいいもの」を身につけて友達に会うと、よく「あやちゃん、それかわいいね」と言われたりして、「これね、実は1,000円だったんだよ」「え〜! 見えない!」なんていう会話になります。
それがまた嬉しくて楽しくて、私はますます「安くて質のいいもの」を探すことが大好きになっていきました。
そして今、私はブログや動画でプチプラファッションの情報を発信し、それが仕事となっています。
思い返せば、幼いころからずっと楽しんできたこと。それを、そのまま今も継続しているという感じで、いつの間にか「大好きなこと」が仕事になっていたのです。