“眼帯の伊達政宗”を決定づけた!? 大河ドラマ『独眼竜政宗』が与えた“大きすぎる影響”
2020年06月18日 公開 2022年06月30日 更新
伊達政宗の人物像は『独眼竜政宗』が作り上げた?
伊達政宗と申せば、男前で東北の雄、片目に刀の鍔の眼帯で乱世を駆け抜けた武将という印象が強いと思う。今の世の者達が思い浮かべるこの政宗の人物像を作ったのが、このドラマ『独眼竜政宗』である。
政宗は疱瘡(ほうそう)という難儀な病にかかり生死をさまよった結果、片目を失った。その失った右目に刀の鍔を眼帯として着用しているという印象が流布しているが、実際には使っていなかった。これはこのドラマでのイメージがそれだけ強かったということだ。
日本全国民が思い浮かべる政宗のトレードマーク鍔の眼帯を作り上げた「独眼竜政宗」、その影響力が凄まじいものであったがわかる。実際の眼帯の多くは、白い布であった。鍔は重すぎるし、戦でも邪魔になる。皆も冷静に考えてもらえれば分かるであろう。
後世に残った政宗を示す肖像画や像には、両目が描かれているものもある。これに関しては、政宗自身が描け!と命を出したと伝えられているが、この『独眼竜政宗』では天晴な演出がされていた。
ドラマでは晩年、政宗が室である愛姫に「来世では両目で其方を見たい」と告げていた。愛する人に対して情が深い、政宗をよく表しておった。戦乱の世に、心和む天下泰平を願い示すかのような天晴な演出であった。
大河ドラマ史上に残る名台詞「梵天丸もかくありたい」
片目を失った梵天丸(政宗の幼名)は、己の姿に対して強い劣等感を感じていた。ある日、梵天丸は寺を訪ね、不動明王の面構えに対して疑問を持った。
「何故、怒った顔をしているのか?」という梵天丸の問い対して、和尚が「恐ろしい顔は悪を懲らしめる為じゃ。不動明王は優しい仏様である」と答えた。
この教えを受け、発した梵天丸の名台詞「梵天丸もかくありたい」。後に奥州の雄と呼ばれる政宗の信念を決定づけた、大河ドラマ史上屈指の名場面であると儂は考える。
伊達家を支えた長寿の家系、茂庭(鬼庭)家
伊達政宗の片腕と申すと、片倉重綱、伊達成実の印象が強いと思うが、ドラマでも登場した茂庭の一族も外す事ができぬ。元々は鬼庭の名であったが、豊臣秀吉によって茂庭に改名。
当主の茂庭綱元は豊臣秀吉に気に入られる程、才覚溢れた武将であった。伊達家は武人でありながら文化人、つまり文武両道の人間が多い。加えて茂庭家は"長寿"という、戦国の世界において喉から手が出ても欲しい才を持っていた。
平均寿命が短い戦国時代は、30〜40年生きれれば良しと考えた。しかし、茂庭家は90歳を超える者がいたりと、伊達家を支える意味では最も長く多くの当主を見届けた重臣。豊臣秀吉も茂庭家の長寿の秘訣を聞き出そうとしたと伝えられている。