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「開成高校卒、試験に13回落ちた」異端の調教師が、競馬の世界で成功できた理由

矢作芳人(調教師)

2020年10月21日 公開 2024年12月16日 更新

昨年度のJRA代表馬に選出されたリスグラシュー、そして無敗三冠馬を目指すコントレイルなど、圧倒的な強さを示す矢作厩舎(やはぎきゅうしゃ)の競走馬たち。

そんな同厩舎を牽引する調教師、矢作芳人氏は調教師には珍しい超名門校の開成中学・高校出身という経歴を持つ。東大や医学部へ進学するのが当然ともいう環境の中で、なぜ競馬の世界に飛び込んだのか。そして名馬を生む厩舎をどう運営しているのか?

ここでは月刊誌『Voice』誌上に掲載された矢作芳人氏のインタビューの一節を紹介する。

※本稿は月刊誌『Voice』2020年11月号より一部抜粋・編集したものです。

 

開成高校卒というエリートコースからの挫折。憧れの競馬の道へ

――調教師をめざしたきっかけを教えてください。

父が調教師だったため、1階は馬小屋で2階は家、学校から帰宅すれば馬がいるという環境で育ちました。眠れない夜には、馬に草を与えに行っていましたが、私の顔を見てこめかみをぴくぴくと動かす仕草がたまらなく可愛い。これが僕の馬好きの原点です。

小学校は私立の進学校に進み、開成中学を受験して進学しました。しかし、そこでこれまで抱いていた価値観が一変します。勉強では人に負けるわけがない、と思っていたにもかかわらず、自分にはとうてい及ばないような「天才」が存在することを知ったのです。

しかも開成の生徒の9割は東大か医学部を目指すといわれていますが、自分はどうしても大学に行きたいと思えない。だったら好きなことを仕事にしたい。そう考えたときに、頭に浮かんだのが「競馬」でした。

――進学校にいながら競馬の世界をめざすことに、ご家族はどんな反応をされたのでしょう。

調教師の厳しさを知っている父は当初、猛反対しました。でも簡単に諦めたくなかったので、何カ月もかけて説得を重ねました。そうして最終的に承諾を得たとき、父から2つの条件を提示されます。

一つは地方ではなく中央競馬に行くこと、もう一つは海外での修行です。そこで20歳の春にオーストラリアへ渡り、海外の調教方法を体験した私は、大きな衝撃を受けます。

たとえば、日本では避けるべきとされている馬の「連闘(2週連続でレースに出走させること)」を行ない、調教コースの馬場状態が悪いときには追い切り(レース直前の調教)をかけないなど、日本にはない新しい発想だったのです。

21歳で帰国し、競馬学校の厩務員過程に入学するものの、海外で培った日本の常識を逸脱する調教方法に、JRAをはじめ、周囲から厳しい目を向けられました。結果、調教師試験に13回落ち、14度目でようやく合格します。

2005年に矢作厩舎を開業したものの、他の厩舎の解散にともなって引き継いだ馬と、馬に乗れる2人の人間を除き、平均年齢50歳の厩務員たちを抱えてのスタート。

そこで、従業員との意思疎通に徹した環境づくりをはじめ、独自の発想に基づく馬の調教を実践しレースの戦略も練り上げていきました。

これらの努力が実を結び、2008年にはJRA史上最速で通算100勝目をあげ、2010年には朝日杯フューチュリティステークスをグランプリボスで制して、G1初勝利を飾ります。厩舎の名を世間に認めてもらえるようになった手応えを実感したものです。

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名馬を続々と輩出をする矢作厩舎は「退職者ゼロ」

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