「他人と自分を比較すること」の意味の無さに気づくと、人生は一変する
2021年01月06日 公開 2023年01月11日 更新
仕事、友達、恋愛。さまざまな人間関係の中で、すり減ってしまうことのある"自己肯定感"。
「約束を破られた。自分は大切にされない存在なんだ」「あの人と比べて自分は全然仕事ができない」「あのとき、ああすればよかったのに。自分はなんてバカなんだ」
「みんなに同じように優しくできない自分はひどい人間かもしれない」などなど、ささいなことがきっかけで落ち込んでしまうこともありますよね。
今回はそんなときに思い出すと気持ちがちょっと軽くなる考え方を、3つのケース別に紹介します。
※本稿は、ダンシングスネイル(著)『ほっといて欲しいけど、ひとりはいや。』(CCCメディアハウス)より、内容を一部抜粋・編集してお届けします。
ケース1.大切にされない自分には価値がない?
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もしかして、相手の小さな親切に過度な意味づけをしたり、反対に、相手の何気ない行動にひとりでやきもきしてはいないだろうか。そんなことがよくあるなら、あなたはその関係において自ら下に出ている可能性が高い。
(中略)
もちろん、相手を大事にし大切に扱う方法は人それぞれ異なる。けれども、相手がその関係において自分ばかり優先するのであれば、その存在自体にまで感謝する必要はない。
すべての関係はギブアンドテイクではないか。相手も私との関係において得ている価値が必ずあるはずなので、誰かが自分に声をかけてくれるということだけで、借りを作ったかのように振る舞う必要はない、ということだ。
関係を結んでいる相手や状況によって、自分自身の立場や態度も自然と変わる。意図していなくても、私もかつて誰かにとって強者であったり、今まさに横暴を働いているかもしれない。
だから、かつて弱者だった、あるいは今現在弱者である自分を過度にかわいそうに思う必要もない。
ただ、今、ある関係において弱者の立場に甘んじているならば、そんな態度がその次の関係、さらには自分自身との関係につながり、人生そのものに影響を与える可能性もある、ということはぜひ覚えておきたい。
自ら弱者の役割を脱ぎ捨てなければ、自分でも気がつかないうちに世の中から不当な扱いをされてしまうかもしれないから。
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自分が大切に思っている人や尊敬している人との関係であればあるほど、「大切にされていない」=「自分には価値がない」という思考につながりがちですよね。自分に悪いところがあったのではないかと考えれば、いくつも原因とおぼしきものが思い当たるかもしれません。
でもそんなときこそ冷静になって、客観的に考えてみてください。
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信じていた人に傷つけられても自分を責めないで。
あなたの信頼を大切に扱わなかったその人が悪い。
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ケース2.人と比べて自分に失望してしまうとき
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誰かを心からなぐさめたり祝ってやれない自分に失望することがたびたびある。他人の痛みに共感となぐさめの言葉をかけながら裏で思わず胸をなでおろしていたり、友人の成功を祝いながらも心の片隅に限りなく萎縮した自分の姿を見つけるときがそうだ。
普段「オトナ」としてちゃんと生きているか自ら取り締まり、合格点の自分を見て安心するために走り続けてくるうちに、いつの間にか世の相対評価に慣れてしまったのだろうか。
誰かを蹴落としてのし上がっていかないと自分の存在が危うくなるという不安から、心がやせ細ってしまったのだろうか。
「比較」の最も怖いところは、現在の自分がなにをどれだけ成し遂げ、手に入れたかに関係なく、時間が経つほど習慣のように染みついてしまうこと。
真の自己肯定感は、比較を通した相対的な満足感ではなく、絶対的な自己承認によって得ることができる。これを忘れなければ、愛する人たちに比較のないなぐさめと不安のないお祝いを投げかけられるようになるだろう。
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他人との比較では、結局しょうもなくてむなしい気分しか生まれません。
それよりも、自分で自分に満足できる言葉や行動を日々選択していくことで、人と比べなくても自信を持てるようになるとベストですよね。