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九州新幹線の全線開業前日に襲った東日本大震災…JR九州社長が迫られた「苦渋の決断」

唐池恒二(JR九州会長)

2021年03月08日 公開 2022年10月14日 更新

 

出発式に向けた準備が進むなか届いた「司令室からの一報」

翌日、開業の日に博多駅で朝6時から行われる新幹線の出発式を皮切りに、各地の新幹線開業祝賀会や関連イベントでスピーチをすることになっていて、そのスピーチの練習に打ち込んでいたのです。

スピーチの練習もかなり進んだころ、15時少し前、突然、列車の運行管理を統括している「指令室」から一報が入りました。

「社長、大変なことが起こりました。東北で大地震が発生したという情報が届きました」

あの、東日本大震災が、よりによって九州新幹線の全線開業日の前日に日本を襲ったのです。もうスピーチの練習なんかそっちのけです。すぐさま、部屋のテレビのスイッチを入れ、NHKの報道を食い入るように見つめました。15時ころでした。NHKのアナウンサーもかなり動転しているようです。

「先ほど東北に大地震が発生しました。現地の詳しい情報は、まだ入ってきませんが、相当な被害が出た模様です」

しばらくして、東北各地の実況画面が映し出されました。アナウンサーがまた叫びます。

「各地で火災が発生した模様です」

15時半ごろに「気仙沼に10メートルほどの大津波が来ました」。15時55分ころ、NHKの画面に、宮城県の名取川河口から巨大な津波が陸地を襲っているシーンが映し出されました。

アナウンサーも言葉が出ません。「うわあー」としか言えずにいます。その津波は、走っている車ごと道路を呑み込み、田畑を呑み込み、民家を呑み込み、と、この世のものとは思えない状況が目の前に繰り広げられていました。

 

猛反発の声を押し切っての「人生最大の決断」

私は決断しました。これは、95年の阪神淡路大震災よりも大変な被害が出るに違いない。死者の数も膨大なものになる。そして、明日12日の新幹線の開業イベントはすべて中止しよう、と。

16時10分ころ、私は、本社の会議室に部長全員と主だった課長を集めて決意を述べました。

「東北で、巨大な地震が発生しました。直後に、各地で巨大な津波が襲っています。そこで、明日の新幹線の出発式をはじめすべての開業イベントは中止する」

有無を言わさず、言い切ることにしました。そのまま続けて指示を出します。

「たった今から、みんなで手分けして各自治体と関係の団体に『中止』の連絡をしてください」

ここで、当然のことながら何人かの部長たちから反発がありました。

「社長、中止はないですよ。みんな、JR九州だけでなく、九州の人たちも新幹線ができるのを40年近くも待ったのですよ。明日は、各地で盛大な祝賀会やイベントが予定されています。それらも2年前、3年前からずっと準備をしてきたじゃないですか。東北と九州では、1000キロも離れています。九州に影響がありません。規模は縮小しても、出発式や祝賀会だけはやりましょうよ」

彼らの言いたいことは痛いほど理解できましたが、私は断固として言いました。

「この大地震は、東北だけの災難ではない。日本全体を襲った"国難"だ。そんな状況で、いくら遠く離れているとはいえ、浮かれた気持ちで祝賀会なんかできない。いろいろ言うな。もう一度言う。明日のイベントはすべて中止だ」

指示を呑んだ部長たちは、手分けして自治体などに連絡をしました。自治体からも当然反対意見がありましたが全員で押し切りました。

会議で決意を表明した後、営業部長に、「あのCMはただちに中止してくれ」と指示をしました。あとで聞くと、すでにテレビ局のほうで震災直後からすべてのCMは放映していないとのことでした。

この日の私の決断は「何かを絶対にやる」という決断ではなく、「絶対にやらない」というものでした。正直「やらない」というこれは辛いものがありました。開業日当日、3月12日になりました。

朝6時に予定していた博多駅での出発式は中止したものの、九州新幹線の最初の列車の出発だけは、私一人で見送ろうと思い、博多駅のホームに上がっていきました。中止を連絡したにもかかわらず、そこには新聞やテレビの記者たち十数人が待ち構えていました。

私は、記者たちに一言も話すことなく会釈だけををし、一番列車の先頭車両のところまで行きました。車両の"鼻"といわれる前に長く伸びた部分を撫でながら、自分にしか聞こえなかったであろう声で「頼みますよ」とだけ車体に声をかけました。

長い会社人生のなかで、最大の決断を下した翌日のことでした。

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