辛酸をなめた小説家の人生を支えた「大作家の言葉」
2021年05月19日 公開 2022年10月06日 更新
脚本家の登竜門・城戸賞入選し、かつて“期待の新人”としてデビューした井原忠政氏。脚本を担当した 映画「鴨川ホルモー」や「THE LAST ーNARUTO THE MOVIE―」が大ヒットし、時代小説を書けば新人賞を受賞――しかしその後はなかなか売れなかった。
最後の手段としてヘペンネームを変えて『三河雑兵心得 足軽仁義』を出版し、現在、順調に版を重ねている。山あり谷ありの道を進みながら、井原氏は作家の大先輩・北方謙三氏のある言葉を思い出したと語る。
"期待の新人"だったはずが……鳴かず飛ばずの日々
――井原忠政さんは紆余曲折ある作家ただと思うのですが、少し自己紹介をしていただけますか。
紆余曲折、大ありでした。まず、脚本家の登竜門たる城戸賞で入選し、脚本家デビューしました。受賞作品は、竹中直人さんの監督・主演で映画化された「連弾」です。
脚本の世界では有名な城戸賞からデビューしたので、当時は確かに“期待の新人“だったはずですが、その後は鳴かず飛ばずで……集まってきた人々が、波のように退いていく光景に、無常観を強めましたね。
それでも、小さな仕事をコツコツ積み上げていましたので、バイトも借金もせずになんとか暮らしていけました。
「まあ、脚本家としての人生、このままでもいいのかな?」と、思い始めた矢先、脚本を書いた劇場用アニメ「THE LAST ーNARUTO THE MOVIE―」が幸い、興収20億の大ヒットとなりました。
――そのときに初めて小説も手がけられていますね。
映画公開に合わせて、脚本をノベライズを手がけました。この小説も十数万部売れ、「これでやっていける」と思いました。
この機会にもっと小説を書いてみたいと思い、日本で最大手の作家エージェンシーの「アップルシード・エージェンシー」と契約しました。これは今でも「良い判断だった」と思います。
すぐに双葉社をご紹介していただき、脚本家の時代から筆名を変えずに『旗本金融道』という時代小説を刊行することができました。
ありがたいことに、栄誉ある歴史時代作家クラブの新人賞に選んでいただき、ベストセラーとまでは行きませんでしたが、著名な先生方から高い評価を受けたことに作家として嬉しく思いました。
忘れられない北方謙三氏の言葉「よい時も悪い時も書き続ける」
――脚本を書けば興収20億、ノベライズは十数万部。時代小説を書けば新人賞を受賞。はたから見ると順調そうです。
はい、でも人生、そううまく行くわけがない(笑)どれだけ満足した小説を書いてもなかなか売れないのです。
「売れる」「売れない」の差は何なのだろうと悩みました。と同時に、このまま小説家を続けていいのか?またはここらで生き方を変えたほうがいいのか?生き方を変えるにしても、ここまで本を出してきたのだから、今さら諦めるのはもったいない。痛し痒しの状態です。
新人賞の授賞式の待合室で、功労賞を受けられる北方謙三さんをお見かけしました。大学の先輩だったので「初めまして」と挨拶し、雑談をさせていただきました。
北方さんは幾度も「書き続けることですよ。何があっても書き続けて」と繰り返されていました。大作家の先生の言葉であるのは理解していますが、正直、ピンときませんですした。「いや、書くのは仕事だし。今までも書き続けてきたしなあ」――と、そんな感じでした。
ところが、その後、北方さんの言葉を深く深く噛みしめることになったのです。受賞作以来書く小説、出す小説が12冊連続で増刷なし。読んでくださった方の反応は悪くないのに、なぜ売れないのだろうか?この事実には相当に凹みました。
大作家の先生を例に出すのはおこがましい限りですが、11年間28冊連続増刷なしで「永久初版作家」と呼ばれていたと大沢在昌さんが自らの書籍のなかで書いていらっしゃいました。同じような心境だと思います。
もう、どこかで引き際を考えた方がいい、という考え方が頭の中でぐるぐると回っていきます。今度を最後の一冊にしたいと何度考えたことか、しかし、その度に頭の中に出てくるのが件の北方先生の言葉「書き続けなさい」でした。
――そして、書き続けるために選択したのが……
進退窮まった私は心機一転、筆名を変えることにしました。「頭を丸めて出直す」ならぬ「筆名を変えて出直そう」と。
次に書くことが決まっている小説が、『三河雑兵心得 足軽仁義』だったので、徳川四天王(酒井忠次、榊原康政、本多忠勝、井伊直政)から一文字ずつを頂戴し、「井原忠政」と名乗ることにしました。
結果は、「追い風がやってきた」と感じております。「この風を掴まなきゃ」と力む一方で、「よい時も悪い時もあるから」みたいな諦観もある。私の答えは――書き続けること。よい時も悪い時も書き続けること。北方先輩の言葉に戻ってしまいましたね。