「自分らしさが大切」ということがよく言われるが、自分らしさを求めるあまり、かえって自分を見失っていないだろうか?人類学者の磯野真穂氏は、世間の価値観に振り回されないためには、「比較」ではなく「関わり」が大切であると語る。
※本稿は、『PHPスペシャル』2021年7月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
人間は"体に手を入れること"で安心できる
私は文化人類学というあまり聞き慣れない学問を専門にしています。文化人類学とは、簡単に言うと、人が他者とともに生きる際のあり方を、そのあり方の多様性とともに明らかにしていく学問です。
その中で私が特に注目をしてきたのが体を取り巻く問題です。人間は、必ず自分の体に手を入れて装飾を施します。飢餓の可能性に日々脅おびやかされるような社会に生きる人々も同様です。
私たちが、メイクをしたり、筋トレをしたり、美容整形をしたりして体に手を入れるのと同じように、かれらも刺青をしたり、耳や鼻にピアスを施したりして体に装飾をつけます。
なぜ人間はこのようなことを行なうのでしょう。それは、安心するためです。面白いことに人間は体に手を入れることで安心できる生き物なのです。
ありのままがいい、と昨今はよく言われますが、ありのままがいいといっても、髪を切らなくていいとか、顔を洗わなくていいとか、裸で歩いていていい、ということではないですよね。
私たちはある一定の方法で体に手を入れる。そうすることで私たちは、たとえそれが外側から見ていくらおかしなものでも社会の一員として認められ、安心して暮らすことができるのです。
その意味で、あなたはあなたでいいとか、自分らしく生きる、とかいった、「あなたらしさを発見することが何よりも大切なことである」といったニュアンスを含んだフレーズに私は多少の違和感を覚えます。
というのも、このような言葉には、あなたはこうしたほうがいい、これはやめたほうがいいといった呼び声のある社会から切り離された「自分」という存在がおり、その中に「あなたらしさ」という何にも代え難いキラキラしたものが眠っている、それを掘り起こすことこそが幸せの道である、という前提が見え隠れするからです。
他人と比べて苦しくなっていませんか?
私は2019年に出した『ダイエット幻想 やせること、愛されること』という本の中で、自分探しの罠について述べました。「自分探しの罠」とは、自分らしさを探しているつもりがいつの間にか他者との比較に陥って、結果、「私には優れたところは何もない」と自分を追い込んでしまう罠のことです。
「自分探し」には、〈自分にしかできない何か〉を〈自分のうち〉から見つけ出すというニュアンスが含まれます。しかしいざそれをやろうとすると、自分と似たような人を横に並べ、その中で〈自分にしかできないこと〉を探すという、他者との比較をせざるを得ないのです。
そうすると当然ながら自分より秀でた人が次々と発見され、その人たちより頭ひとつ抜け出るにはどうしたらいいかという、当初の自分探しとは程遠い戦略を探らざるを得ません。
今は、痩せていることが全ての価値ではないという社会に変わりつつあり、それは素晴らしいことですが、その代わりに台頭しているのが、「SNS映ばえする体」です。
痩せを無条件に要求する社会も大問題ですが、何が基準になっているのかよくわからないSNS映えする体がもてはやされ、そのような体が自分らしく生きている人であると称揚される社会もまた大変ではないかと思います。
みんながみんなSNS映えする体を作れるわけではなく、そのような多様な「映える体」を目にしながら、それらとは異なる「自分らしさ」を放つ体を創作するのは容易いことではありません。