1. PHPオンライン
  2. 生き方
  3. 「すべて他人のせい」にする人が、結局は誰よりも苦しむ“悲しい結末”

生き方

「すべて他人のせい」にする人が、結局は誰よりも苦しむ“悲しい結末”

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年09月10日 公開 2024年12月16日 更新

現代において、重荷を逃げることばかり考えて、結局生きがいを見失っている人が多く見られる。これまで数々の人生相談を受けてきた加藤諦三氏はこのように語る。

同氏は著書『人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人』にて、人生の重荷を避け、責任転換をしてきた人にはゆくゆく付けが回ってくると指摘している。逆に、重荷を背負った人は最後にはそれなりの雰囲気が出来上がっているという。

※本稿は、加藤諦三 著『人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

ずるく立ち回った人は、四十過ぎて顔に出る

会社や親戚の集まりでは「体の調子が悪い」と言って、自分がしなければならない仕事を人に押しつけて、逃げて逃げて逃げまくって生きてきた。とにかく嫌な仕事から逃げて生きてきた。

自分が支払わなければならないお金を「ちょっと今大変なのよ」などとうまいことを言って、人に払わせた。そして人に隠れてけっこう貯金をしていた。本当は自分が言わなければならない言いにくいことを、人に言わせて逃げた。

そうしたことのたびに心の底で「うまくいった」と思っていた。心の底で「得した」とほくそ笑んでいた。しかし実はそのたびに心に借金を重ねてきたのである。「得した、うまくいった」と思った時が、実は後から考えれば大損をしていた時なのである。

誠実な人は人のために尽くす。しかしある時に「これだけやっても、この人は変わらない」と見切りをつける。やるだけやった時に「これでお終い」とハッキリと心にけじめがつけられる。

そうした時にずるい人は黙って自分に尽くしてくれる人を見て、「うまくいった、得した」と思う。しかしまさにその時は、誠実な友人が、実はあなたに見切りをつけた時なのである。

心の葛藤を自ら乗り越えるのも、人生の重荷の一つである。それなのに自分の心の葛藤を人を巻き込んで解決した。つまり人に絡んで生きてきた。責任転嫁である。

あるいは相手の問題を解決するつもりはないのに、いかにも解決してあげるような顔をして「誠実ないい人」を演じて生きてきた。たいしたことをしていないのに、自分のしたことをたいそうなことのように人に売り込んできた。

とにかくそうして小さい頃から、ひたすら人生の重荷を逃げて生きてきた。その結果、借金地獄になった。それが年をとってからの苦悩である。不幸は突然来るものではない。毎日毎日の生活の積み重ねとして人は不幸になるのである。自信をもてないように生きてきて、自信が欲しいといっても無理である。

道を歩いていると大きな木カブが道を塞いでいる。そこで「何で俺の人生はこうなんだ」と文句を言っている。そして人に助けられて通り過ぎる人がいる。自分の力で木カブを抜くなり何なりして処理をしていない。後から振り返ると、その人の歩いた道は木カブを掘り起こした跡だらけのでこぼこの汚らしい道である。

しかしその木カブをていねいに時間をかけて自分の力で抜いて、そこに花を植えていく人もいる。次にまた大きな木カブに出会う。その人は前に自分の力で抜いたから、もうどんなに大きな木カブでも抜く自信がある。その自信があってまた木カブを抜いて花を植えた。その人の歩いた跡はきれいな花が咲いている。後から考えると木カブを処理したことが財産となっている。

重荷を背負った人は、最後にはそれなりの雰囲気ができあがっているものである。よく「四十を過ぎたら自分の顔に責任をもて」という。たしかにずるく立ち回ってきた人は、四十を過ぎたら顔に出る。

どんなに金の時計をしたり、大きなダイヤをつけても、重荷を逃げた人は卑しい顔なのである。どんなに権力をもっていても貧相なのである。逆にどんなに襤褸を着ていても、品格のある人というのがいる。30年間泥棒をしていれば、泥棒の顔になる。

次のページ
責任転嫁のつけは必ず回ってくる

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

関連記事

アクセスランキングRanking