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社会

元自衛官の校長先生を驚かせた「教育現場の事なかれ主義」

竹本三保

2021年10月05日 公開 2023年09月12日 更新

強力なリーダーシップが要求される自衛隊、それが公立高校で通用するのか――一等海佐から大阪府立狭山高校校長へ転身した竹本三保はこう述べる。

「組織を動かし、人を動かして任務にあたるという文化が、自衛隊と学校とでは大きく異なるとはいえ、最終的には高い志、夢や希望が持てるという、やりがいのある職場環境づくりが大切だということには変わりはない。そのためには優れた見識のあるリーダーが必要であり、また育てることが急務かと考える。これは自衛隊や学校に限らず、企業や団体、地域、スポーツ界など、人と人が結びついて成り立っている、あらゆる世界についても同じことが言える」と。

男社会だった自衛隊で女性リーダーとしての道を切り開き、培ってきたリーダーシップを紹介する。

この記事は竹本三保著『国防と教育~自衛隊と教育現場のリーダーシップ~』(PHP研究所)から抜粋したものです。

 

校長とは「マネージャーではなくリーダー」

学校の校長は孤独です。リーダーの立場にある者は、孤独を覚悟しなくてはいけません。正しいことであれば、耳の痛いことも教員たちに言って、嫌われるのも当たり前の気持ちで臨まないといけないのです。

一般的に校長と教頭が一対と見られているかもしれませんが、教頭は教員の頭のようなものですので、私は教頭に「軸足を教員側に置いておくように」と言っていました。

ですので、私と同じ行動をとらせるようなことはなかったのですが、常に自分の隣に置いて代弁させるような校長もおられました。教頭は他のことをやってもらった方が業務の効率としてもいいと思います。

校長は部隊指揮官と同様に、最後の決断をする人間であり、孤独に耐える必要があります。私自身は、自分の生き方として、己のミッションは何かを常に考え、実行していくことを自らに課していました。

ただ、この考え方がピンと来ず、校長になって教職員たちの仲間に入れてもらえず、"寂しい"という人がたくさんいるのです。それは当たり前の話であって、校長として迎えられることはあっても、リーダーとして全く違う仕事をしているのですから、仲間になれるはずはないのです。

私が民間人校長になった当初、とても違和感をもったのは、教育に携わるみなさんがリーダーシップという言葉を使わないことでした。ある教育関係者に「校長のリーダーシップは当たり前ですよね」といった話をしますと、「えっ?」といった反応でした。

校長の仕事はあくまでマネジメント(管理)であって、リーダーシップといった概念がないのです。マネジメントなら校長が指示をして教頭や事務長といった人たちにしてもらえばいい、と私は考えています。

受け身としてのマネジメントと考えるから、一人で決断できず、教職員たちに迎合し、事件や事故が起きても、その結果誰も責任を取らないような事態に陥るのだと思います。

以前問題になった神戸市の小学校教員間のいじめについても、報道が事実であれば校長は事態を把握しておいて放置したも同然であり、前の校長にいたっては被害教員が訴えているのに「いじめられてないんだな」と否定を迫ったと報道にはあります。

これは事なかれ主義の典型であり、責任を取るという覚悟、リーダーシップが全く欠如しているためだと言い切ってもいいでしょう。そこでやはり校長のマネジメントではなく、リーダーシップというものがクローズアップされてくると思うのです。

ところが現実問題として、校長自ら提案をして、教職員に協力を求めようとしても、すんなりとはいかないのが学校現場でもあります。私は、これまでいろいろとやりたいことの思いがあっても、それが実現できずに悶々としている校長の姿を何人も見てきました。

 

部下の信頼を得るまで忍耐が必要

その昔は職員会議の際、議長と対面する教員たちの横に、校長が座らされていたこともあったと聞いています。校長はお客さん扱いで、討議には口を出さないようにといった状態にしているのです。

私は職員会議の時はもともと教員たちの前に座っていましたが、会議終わりに私が挨拶及び説明する時に議長が「あと4分しかありませんけど」と言うので冒頭に話すことにしたのですが、反対意見はなかったものの、そうしたことですら神経を使うような現場なのです。

校長になった際、すぐに反対されたことがありました。それは元女性自衛官が民間人校長になるというので話題になり、テレビクルーが密着するということになった時のことです。

私としては学校の広報活動として有効だと思い取材を引き受けました。テレビ局の要望は私の赴任初日から撮影したいとのことでしたが、さすがにそれは断りました。

入学式からということになり、それを職員会議で伝えるとパッと一人の教員が手を挙げ、「生徒の顔が映ることに問題がある」と言われたのですが、入学式までにまだ一週間という猶予があったことと、インタビューに応じた保護者や生徒については、個別に本人らの許可を取るということで決着がつきました。

また、読書量を増やしたいということで、各クラスで読んだ本の数を棒グラフにして競わせないかと司書の先生に言いましたら、「そんな競争心をあおるようなことはダメです」ということでした。競争をするということが平等でなくなるという考え方なのかもしれませんが、私には不思議でなりませんでした。

一方、体育大会では分団(チーム)分けをして点数制にしたら、生徒は喜んでいました。その姿を見て先生方も「これでいいのかな」と思っておられたのではないでしょうか。このように一例をとってみても、校長として学校でリーダーシップを発揮するのは、本当に難しいことだと感じます。

リーダーとしてやろうとしていることがどんなによい結果を生むのか、それを自分の想像の限り、情熱を持ち、言葉を尽くして説明することが大切です。いくら間違っていないプランでも、強引に押しつけてやろうとすると教職員から反発を招いたりしてうまくはいきません。

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山本五十六「率先垂範」

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