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アントニオ猪木は北朝鮮で“国賓級”だった?現地で38万人を熱狂させた「平和の祭典」

原悦生(カメラマン)

2022年05月03日 公開 2024年12月16日 更新

 

そして、猪木は北朝鮮で「力道山」になった

平和の祭典の2日目、メインイベントは猪木vsリック・フレアーである。会場となったメーデースタジアムでは、金日成の肖像画が2人の戦いを見下ろしていた。

超満員の観客は、それまでとは違った反応を見せている。スタンドからの大歓声が一呼吸置いてから、リングに到達。遅れてやって来るそれは、異様なうねりのようでもあった。声の波が中心のリングに向けて押し寄せてくるのだ。

「ああ、これが猪木の引退試合なのか」

カメラを構えながら、私はそう感じた。それだけのスケールと雰囲気を十分に兼ね備えていた。

力道山に地球の裏側から日本に連れ戻されてプロレスラーになった男は、その力道山の故郷で史上最多の観衆の声援を受けている。主催者の発表は、2日間で38万人だった。

力道山が日本に広めたプロレスを今、猪木が北朝鮮の人々に見せている。猪木は力道山について、こんなことを言っていた。

「力道山は俺をどうしようと思っていたのか…本心がわからないな」
「力道山が生きていたら、今の時代はどうなっていたのかな」
「俺、力道山からプロレスのことを何にも教わったことがないんだよ」

力道山の生前、猪木は付き人として必要最低限のこと以外、自分から話しかけたことはないはずだ。直弟子とはいえ、普通に会話を交わせるような関係性ではない。

近くにいたから、その姿を見てはいた。しかし、そこに会話がなかったということだ。

あの日、猪木は北朝鮮でその「力道山」になっていた。日本で力道山がアメリカから来たレスラーを空手チョップでなぎ倒していたのは、40年前のことである。それほど時代が違っていても、あの場には同じ熱狂が生み出されていた。

試合を終えて、猪木の中ではやり遂げた感があったはずだ。イラクの人質解放とともに、北朝鮮での平和の祭典は大きな仕事として永遠に歴史に残る。

 

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