「私たちは他者を見ると、相手も自分と同じ人間なんだと無意識のうちに感じます。そのときに自分に湧き上がった感情から、共感的に相手を理解するのです」
そう答えるのは、言語・非言語コミュニケーション機能の認知神経科学や、コミュニケーション障害の脳内メカニズムに関する研究を行っている、京都大学名誉教授で追手門学院大学名誉教授・特別顧問の乾敏郎氏。
本稿では、『歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)』オーガナイザーの深井龍之介と、Podcast Studio Chronicle代表・音声プロデューサーの野村高文氏が、脳科学研究の第一線で活躍する乾氏に「人間が感情をもっている理由」について聞いた一説を紹介する。
※本稿は『視点という教養』(深井龍之介・野村高文[共著]、イースト・プレス刊)より一部抜粋・編集したものです。
人間が感情を持っている理由
【乾】私たちが感情を持っている理由の1つは、いま自分が良い状態にあるのか、そうでないのかを自覚するため。もう1つは、自分の状態を他者に知らせる必要があるためです。
逆に言うと、他者の感情の状態を知ることができれば、うまくコミュニケーションが取れるのです。コミュニケーションには、言語による「バーバルコミュニケーション」と、非言語の「ノンバーバル(非言語)コミュニケーション」の大きく2つがあります。ノンバーバルコミュニケーションとは、表情や視線、しぐさ、あるいは沈黙なども含まれます。
どちらもとても大切ですが、感情と深く関係するのはノンバーバルコミュニケーションのほうです。なぜなら他者の感情を理解するための、一番大きな要素は表情だからです。相手の表情から、言っていることの意図を探ったりしますよね。
【深井】そうですね。
【乾】では、人間はどうやって他者の表情から感情を読み取るのか。
私たちは他者を見ると、相手も自分と同じ人間なんだと無意識のうちに感じます。これを「自他同一視」といいます。同一視するので無意識的な模倣が起こり、自分も相手と同じ状態を作る。
そのときに自分に湧き上がった感情から、共感的に相手を理解するのです。これを「情動的共感」といいます。
【深井】人が笑っているのを見ると自分も微笑んでしまう、みたいなことでしょうか。
【野村】相手の表情をそのままキャッチするのではなく、相手に応じて自分も微笑んでしまうことで、相手の状態がわかるのですね。
【乾】そうです。なぜこういうことが起こるかというと、私たちの脳には模倣回路が備わっているからです。これを「ミラーシステム」といいます。
今は表情を例に挙げましたが、相手の動きを理解するときも、自分の頭の中で同じような動きをしているんですよ。
【深井】へええ。自分の体は動かなくても、頭の中で再現しているんですね。
感情にも運動にも関係する「ミラーシステム」
【乾】イメージトレーニングも、このミラーシステムが関係していると考えられます。
ミラーシステムは、生まれたときから備わっているものと、後から獲得するものがあります。たとえば、赤ちゃんは自分の微笑む顔を見たことがないのに、お母さんが微笑むと、赤ちゃんも微笑むことができますね。これは新生児模倣といって、生まれながらに備わっているものです。
一方で、他者が歩く動作を理解するには、自分が歩けるようにならないとミラーシステムが働きません。
たとえば、フィギュアスケートでどの種類のジャンプを見ても、私たちには同じに見えますね。テレビで解説者が細かく解説しても、違いがわからない。それは、自分ができない動作は視覚的にしか認識できないからです。ちゃんと理解ができていない。
【野村】そうですね。素人の私には、どれもだいたい同じに見えます。
【乾】一方、解説者の多くはフィギュアスケートの経験者だから、ミラーシステムが働いて運動を理解できるんです。つまりミラーシステムは、感情だけでなく運動にも関係しているのです。
【深井】なるほど。感情にせよ運動にせよ、自分が経験したものであれば、ミラーシステムが働きやすく相手に共感しやすいということですね。その意味でも、人生経験を積むことは大切なんだなあ……。
【乾】一方で、このミラーシステムがうまく作動しない人がいます。事故や病気をきっかけに起こる場合もありますし、発達過程でそうした症状が見られる場合は発達障害といわれます。
発達障害の1つである自閉症は、相手の表情や意図を読み取りにくいことが大きな特徴です。これには、ミラーシステムの働きが関係していると考えられています。
自分も相手も同じ人間だと思って相手のことを理解する、ライクミーシステムがうまく働かないために、共感ができないのです。