活動へと突き動かすのは「娘ならどうするか」
中谷さんを突き動かしているものは何か、どんな思いで加害者と向き合っているのか。言葉にできないほどの苦しみを受けたはずなのに、周囲に気遣いを欠かさず、常に感謝を絶やさない中谷さん。今に至るまで交流が続く中、私は踏み込んだ質問をしました。
「ゆるしは加害者のためというより、被害者のためにあると、私は思うの。加代ちゃんはどう思う?」
加代ちゃんと呼びかける間柄になっていた私の、「被害者の自己満足ではないか」とも聞こえる問いかけにも、中谷さんは丁寧に答えてくれました。
「歩の事件を経験して、紙1枚くらいは変われたかもね。でも、まだまだ煩悩の中で五里霧中なんよ。じぁけど、そういう私だから加害者の心が想像できるのかもしれんねぇ」
「そういう思いに至ったのは、歩ちゃんの事件の加害者が同級生で、まだ若かったということが大きいのかしら」と尋ねた私に、加代ちゃんは、ちょっと考えて、ゆっくりと答えはじめました。
「加害者が同じ世代の似たような家族で、加害者側のことは、わりと想像しやすかったんよ。加害者が自殺しちゃって、この世にもういないことも影響してると思うよ。
もし、彼が生きてて、良心の呵責もなくて、開き直ってたら...まあ実際、事件直後の私の心には、真っ黒な感情があったもの。許せない気持ちを持つ被害者のことは、誰より理解できるんよ」
あのスケッチブックに描かれていた黒い奔流を思い出し、私は、目の前の彼女の笑顔を見つめ直しました。それは紛れもなく、究極の苦しみを経て窯変した輝きを放っていました。
「歩は、私にとってあこがれの存在。友だちに囲まれ、明るく生き生きしていた歩。あんな学生生活なら、どんなに楽しいじゃろうと羨ましかったし、そんな娘に育ってくれたことが、私の大きな誇りだったんよ。その歩ならどうするか。今でも、こっちに向かっていいよねって、歩としゃべるの。歩の答えに、迷いはないんよ」
思いの根底にあるのは、「歩ならどうするか」
中谷さんの言葉には、亡き歩さんへの愛しみがあふれていました。亡き人との出逢い直しの中で、歩さんが、母である中谷さんに語りかけている。歩さんの愛しみに中谷さんが応えた瞬間でした。
悲しみは消えなくても、亡き人の想いに応えるためにできることはなんだろうと問い続けたのは、私も同じでした。
悲しみを口にすることができずに苦しみ続けた亡き母。もっと弱さの発信がしやすい社会であったなら、母の苦しみは分有されたかもしれません。
私が世田谷区の行政の仕事を通し、グリーフサポートの普及を応援するのは、悲しみの発信がしやすい地域の場づくりが、公助・共助として地域に根付けばという願いからです。
悲しみは困りごとと言い換えることもできるでしょう。
さまざまな生活の困りごとに対して、縦割りの対応でなく、「困りごと=グリーフ(悲嘆)」を緯糸(よこいと)に、包括的に対応していく。誰かの困りごとを親身に聴き、自分の弱さも含めて発信しやすくなれば、ぬくもりある社会に少しでも近づくのではないでしょうか。
未解決事件という、憎しみのベクトルが向かう先のない、あいまいな喪失の中で右往左往している私。それでも、被害者遺族はこうあるべきという、世間の「べき論」には違和感を抱いていました。
被害者遺族の中に、憎しみが生きる糧になっている人がいてもいいし、加害者やその家族に寄り添う人がいてもいい。遺族の姿はそれぞれです。
被害・加害の隔たりを越えて対話することは、犯罪の事実をうやむやにすることでも、適正な裁判を行わずに犯罪者を野放しにすることでもありません。加害者を擁護するつもりもありません。
同じような被害体験を持った人に、加害者が置かれている事情や状況に理解を求めることを強要もしません。
私は、もし加害者が発見され、逮捕されたならば、なぜこのような事件を起こしたのかを知りたい。悲しみの意味を知りたいからです。最初の単著のタイトルを『この悲しみの意味を知ることができるなら』としたように。
知ることによって、前を向ける人もいるはずです。加害者のことなど考えたくないという人もいるでしょう。その人に、加害者への理解を強要するならば、それ自体が一種の暴力になってしまいます。
遺族の悲しみはひと色ではありません。被害を受けた人が加害者に思いをめぐらすこと、赦すのではなく、加害者について知りたいというニーズに応えることも、またケアでしょう。そうした取り組みが進む社会を望んでいます。
中谷さんとの出会いをきっかけに、私自身も、地域の保護司としての道を歩み出しました。「更生」とは「更に生きる」、甦ることです。