自分の仕事に誇りを持ち人生を愉しんでいる人がいる一方で、「今の仕事が嫌だから転職をしたい」「この会社では自分は正当な評価をされていない」「もっと実力を発揮できる会社に行きたい」などと、現在の仕事に不満を抱え、転職を考えている人も少なくないはず。
しかし、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さんは、そうした転職理由が、現実逃避からくるものではないかを確認することが大切だと教え諭します。
ならば、どのようにして人生の選択をすればいいのでしょうか――。これまで様々な人生相談に乗ってきた禅僧が、実際の出来事を元に、「転職」とともに、人生や仕事との向き合い方について説きます。
※本稿は、枡野俊明著『「幸福の種」はどこにある? 禅が教える人生の答え』(PHP文庫)から一部抜粋・編集したものです。
「発心」の弱い人は、出家はできない
私が初めて女性の出家得度を行ったときのことです。男性の出家はそれまで自分の子どもたちの出家得度をしていましたが、女性は初めてでした。
僧侶の数から考えれば、やはりまだまだ女性の出家は珍しいものです。その女性は、学生のころから仏教に興味をもち、大学時代も禅を研究するサークルに所属していたそうです。
その女性が昔通っていた大学が私どものお寺と比較的近くにあることが縁で、その女性は私どもの寺が主催している坐禅会に10年以上も通っていました。
最近の坐禅会は若い女性がとても増えていますが、それまれでも10年以上も通い続けるというケースは稀なものです。そんな経験を積み重ねていくうちに、彼女は出家したいという気持ちになっていったといいます。
私の元に相談に訪れた時、私にはまだ彼女の覚悟が分かりませんでした。何か辛いことがあったのか。それとも単なる禅に対する憧れなのか。いずれにせよ、出家をするということは中途半端な気持ちではできるものではありません。
禅の世界では、「発心」という言葉を使います。これは字の通り、自らが発する心ということです。
この「発心」がしっかりしたものでなければ、こちらも安易に受けるわけにはいきません。彼女の覚悟を確かめるために、何度も話をし、出家への覚悟を確かめたものです。
そして私が心から彼女の「発心」を感じ取った上で、出家のための準備に入っていったのです。
彼女のような比較的若い人はかなり珍しいですが、出家を希望する人はたくさんいるようです。その多くは50代、60代の人です。その理由はさまざまなものですが、やはりそこには、現状から逃げ出したいという気持ちの人が多くいます。
人生に失敗してしまった。自分の思い通りに物事が進まなくなった。もうこんな人生は嫌だから、いっそ出家でもしてしまおう。とりあえず出家すれば、次の人生が待っているかもしれない。
もしもそういう気持ちが少しでも感じられれば、私はきっぱりと出家のお手伝いを断ります。
そんな気持ちで厳しい修行が続くはずはありません。つまり「発心」の弱い人には、到底出家など無理なのです。
現実逃避による選択からは何も生まれない
現実逃避というものは、誰にでもあるものでしょう。今の状況が苦しいものであれば、なんとかそこから逃げ出したいと思う。努力をして目の前の壁を乗り越えようとするのではなく、どうにかして壁の横をすり抜けようとする。
あるいは誰かの助けをひたすら待ち望んでいる。そんな気持ちは分かりますが、そこからは何も生まれません。現実逃避からは何も生まれないのです。
具体的な例でいえば、転職というものもそうです。昔と比べれば、最近は転職がしやすい環境になってきました。特に年齢が若ければ、転職という言葉が常に頭の中にあるでしょう。
ならば、どうして転職を考えるのか。その「発心」をもう一度自分なりに考えてみることです。
今の仕事が嫌だから転職をしたい。今の会社の給料が安いから、もっと給料の高い会社に変わりたい。この会社では自分は正当な評価をされていない。もっと実力を発揮できる会社に行きたい。
そのような言葉を聞けば、さも積極的な理由に聞こえます。しかしこれらの理由は、すべて現実逃避に過ぎないと私は思います。
自分のやりたい仕事ではない。本当にそうでしょうか。ならばやりたい仕事とは何ですか。もしも自分のやりたいことが明確になっているのなら、その人はとっくにその世界に入っているはずです。
今の仕事を選んだのは自分自身ではありませんか。自分が選んだ仕事であるならば、まずはその仕事に一生懸命に取り組むことです。どんな仕事でも、中途半端な気持ちで取り組んでいれば、そこに面白さなどは感じられません。
あるいは給料が安いとか、評価をされていないとか、それはいったい誰のせいでしょうか。社会とは思う以上に平等にできているものです。
頑張って仕事をしている人は評価され、給料も上がっていく。文句ばかりいって、仕事をきちんとしない人間は評価されるはずもない。当たり前のことだと思います。
もちろん一時期は不遇なこともあるでしょう。上司との相性や会社の業績に呑み込まれることもあります。しかし人生という長い目で見れば、社会は適正な評価を与えているものです。