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「志」あるストーリーで新興国需要をつかめ

楠木建(一橋大学教授)

2011年01月17日 公開 2022年08月17日 更新

「志」あるストーリーで新興国需要をつかめ


 

戦略的経営に「必殺技」はない

2010年4月、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)という本を上梓した。「優れた競争戦略はストーリーとして語られる」というもので、サッカーのパス回しなどの「流れ」をイメージに引きながら、マブチモーターやガリバーインターナショナルなどの具体的な企業を採り上げ、その「優れた戦略ストーリー」の原理原則を論じたものである。

おかげさまでこれまで多くの反響をいただいたが、驚いたのは意外なほど誤解が多い、ということであった。たとえば「これは『ストーリー戦略』ですよね。つまり戦略論のサブカテゴリーとして、プラットフォーム戦略などと並ぶ新しい手法を提示されているのでしょう」という反応である。

しかし「優れた競争戦略はストーリーとして語られる」と述べたとおり、「ストーリー戦略」ではなく、あらゆる戦略は「ストーリー」であるべきだということこそが筆者の主張だ。

おそらくとくにリーマン・ショック以降、低迷を続ける日本の状況が、そのような誤読を促した面があるのではないか、と考えている。本来のストーリーとしての姿が崩れてしまい、多くの会社が「アクションリスト」「法則」「テンプレート」などの「静止画」的な戦略論にとどまっているように思うのだ。

その結果、どのような個々のアクションが利くのか、という次元に戦略思考が後退してしまっている。

つまるところ「貧すれば鈍する」だ。「たいへんだ」となると思考にゆとりがなくなって、ストーリーまで話が進まずに、状況を打破する「必殺技」がないか、と考えてしまうのだろう。

しかし筆者にいわせれば、戦略的経営は「総力戦」であり、「起死回生の必殺技」など存在しない。

たとえば帳簿をつけるのであれば、会計という部署がある。モノを売るのであれば、営業という部門がある。経営の問題の多くは、大きな事象を構成要素に分解するというアナリシス(分析)のかたちをとる。

しかし戦略に限ってはシンセシス(綜合)にその真髄があるがゆえ、対応した部署がない。経営戦略部にしても、彼らは戦略をつくる人の下ごしらえや手伝いをしているだけだ。本当に戦略をつくるのはお料理そのものをつくる人、つまり経営陣や個々の事業のラインマネージャーということになる。

しかしそのような当事者が「静止画」を戦略だと思い込んでしまえば、そこで会社自体が「脳死」してしまう。しかも人間と違って、脳死していても会社はバンバン手足が動く。具体的なイメージを思い浮かべる読者も多いだろう。

さらにいえば、戦略をつくる当事者が自分で「面白がっていない」戦略が多いように思う。典型的な物言いは次のようなものだ。

「いま日本企業は苦境に立たされている。人口減少によって国内需要が限られ、これ以上、この国に成長余地はない。したがって、われわれは新興国に進出せざるをえない。グローバル化せざるをえないのだ。さもなければ、われわれは生き残っていけない」

そのような議論を聞くにつけ、筆者はこう感じる。「いやいや、誰も生き残ってほしいなどと頼んでいないよ」と。

古今東西のあらゆる商売は「自由意思」に基づくものであるべきだ。自分の提供しようとするものに価値があり、その価値を世の中に提供できる、その結果、必ず儲かる。そう考える思考のなかに制約などはないはずだ。そしてその自由意思の拠り所こそ、「これは絶対に面白い」というストーリーなのである。

具体的にいうとわかりやすいだろう。たとえばかつてソニーの人がトランジスタラジオを開発したあと、「生き残りのために、われわれはアメリカに出ざるをえない」といっただろうか。ホンダが二輪車をつくったあとで、「グローバル化なくしてわれわれは滅ぶ」と考えただろうか。

そうではないだろう。きっと彼らは「こんなによい製品なのだから、アメリカ人も喜ぶだろう」と思ったにちがいない。当時の日本人はいわば「グローバル二等兵」で、「行けー! 突っ込めー!」という様相だったはずだ。そして、そこにはとても「面白い」ストーリーが存在していたはずである。

そのような当時に比べ、いまは「日本はもう成長しない」などずいぶん他律的なものに依存して、議論が進んでいるように思うのだ。しかし戦争と違って、ビジネスでは複数の企業が勝利できる。採りうる勝ちパターン、戦略も無限にある。

そもそもストーリーをつくる当事者が面白がっていない、ワクワクできないならば、従業員も「よし、やろう」という気にならないし、顧客も、そして投資家も、魅力を感じるはずがない。

失敗が怖いのかもしれないが、拙著に記したとおり、100%成功する戦略などないわけで、マリナーズのイチロー選手と同様、打率3割5分なら超一流バッターである。いまこそ日本企業はかつて自らがもっていた「グローバル二等兵」の気概を取り戻すべきではないか。

精神論に取られるかもしれないが、結局のところ、最後は「志」である。たとえ外界でさまざまな変化があったとしても、それとは関係なく内発的に出てくる「自分以外の誰かのためになりたい」という情熱こそが重要なのだ。

なんだかんだいっても人間は、他人のためになったときがいちばん嬉しくなるようにできている。それが人間の本性だ。その「志」を忘れたストーリーなど考えられないだろう。

もちろん「志」のみに頼ってはいけない。「志をもて」という経営陣は多い。しかしその次にくる言葉が「だから頑張れ」というケースが少なくないのではないか。これは経営ではない。「理念」と最後に結果として生まれ出る「成功」、これをつなぐものこそが戦略ストーリーなのである。そして「なるほど、このストーリーならいける! いっちょう頑張ってみるか」と従業員を鼓舞することこそ、経営陣の役割であると思うのだ。

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