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サイボウズ社長・青野慶久が、4人に1人が辞める会社を経営して気づいたこと

青野慶久著『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』より

2018年02月27日 公開 2024年12月16日 更新

サイボウズ社長・青野慶久が、4人に1人が辞める会社を経営して気づいたこと


 

会社は「辛くて当たり前」?

あなたは、今の会社が楽しいですか?

楽しいのなら、おめでとうございます。よい会社、よい仲間、よい仕事。充実した毎日をお過ごしのことと思います。

「会社は楽しむ場所じゃない。楽しいかどうかは関係ない」と言う方もいらっしゃいます。気持ちはわかります。会社は仕事をするところだから、仕事で成果を上げることが第一。成果を上げるには、楽しさよりも厳しさが必要。だから、つらくても問題ではない。そう言いたくなる気持ちはわかります。私も長年そう思っていました。

会社が楽しくない理由は様々です。やりたい仕事を与えてもらえない、上司や同僚・部下との人間関係がつらい、残業が多い、給料が安い、成長している実感がない、通勤時間が長い、休みを取りづらい、などなど。確かに楽しくなさそうです。でも、仕事です。楽しさを求めて働けません。成果を上げなければ企業は倒産してしまいます。

ただ、会社勤めをする人の人生において、会社で仕事をして過ごす時間は、とても長いのです。もし、平日の24時間のうち、8時間働き、8時間睡眠をとると仮定すると、起きている時間の半分を会社で過ごすことになります。この時間が楽しいかどうかは、人生の大きな問題です。
 

4人に1人が辞める会社を経営して気づいた「モンスター」の存在

にもかかわらず、今日も日本の多くの会社では「我慢レース」が繰り広げられています。これは何かがおかしい。もしかすると、人類が作り上げてきた「会社の仕組み」そのものに大きな原因があるのかもしれない。

私は、サイボウズ株式会社の創業者であり、代表取締役社長です。会社が生まれるところから、従業員が500人を超え、東証一部の上場企業になるところまで見てきました。

以前のサイボウズは、終電までの残業や土日出社は当たり前。ハードな働き方についていけず辞める社員が続出し、離職率は28パーセント。当然、楽しそうに働いている社員は多くありません。

これではいけない、と全社的な改革を進めました。「100人いれば、100通りの人事制度」という方針のもと、一人ひとりの個性を重視する施策を実施し続けました。例えば、働く時間や場所を自分で選べるようにしたり、自由に副業をできるようにしたり。

その結果、離職率は7分の1に下がり、働き方改革の先進企業と呼ばれるようになりました。楽しそうに働く社員はずいぶん増えました。社長である私自身も育休を3回取りました。事業も順調です。クラウドサービスの有料契約社数は2万社を超え、持続的に成長を続けています。

その過程で見えてきたこと、それが会社という「モンスター」の存在です。本来、主役であるはずの人間が、なぜか会社のために働き始める。経営者も現場の社員も、「会社のためだから」と言って、自分たちの暮らしを犠牲にしてしまう。自分たちの人生をこの「会社というモンスター」に捧げ、毎日ストレスを抱え、不満に耐え続けている。この構造から抜けられない限り、楽しく働ける日は来ないのです。

私たちが楽しく働けないのは、会社の仕組みのせいなのではないか。会社がモンスターのように私たちを支配してしまっているからではないか。3月1日発売の新刊『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』では、会社が働く私たちを不幸にしている問題について、掘り下げてみることにしました。一体、何が起きているのか。問題の構造から考え、そして自分の楽しい人生を取り戻すためのヒントをまとめました。

なお、この本では、会社のことを「カイシャ」と書くことにしました。あえて普段と違う言葉を使うことで、今まで会社に持っていた偏見を捨て、一から考え直してみましょう。
 

そもそもカイシャは実在しない?

もし「『カイシャ』って何ですか」と聞かれたら、どう答えますか。「人が集まって、仕事をするところです」とか、そんな感じでしょうか。確かに人が集まって仕事をしていると「カイシャ」に見えます。

では、「『どれ』がカイシャですか」と聞かれたら、どうでしょうか。オフィスのビルを指差して「あれがカイシャです」と答えてしまいそうです。

ただ、よく考えてみれば、それは社員が働くために借りているビルであって、カイシャではありません。ビルの中で働いている人たちを指差して「あの人たちがカイシャです」と言っても、それは社員であって、カイシャではない。

では、カイシャとは「どれ」でしょうか。そもそも人が集まって何かを始めるときに、何が起きているのか、本質的なことを考えてみましょう。

例えば、あなたがメンバーを集めて「瀬戸内ドルフィンズ」というサッカーチームを作ったとします。複数の人間が集まって、名前がついた一つの組織ができました。作ったのだから存在するはずなのですが、「『瀬戸内ドルフィンズ』ってどれ?」と言われると、やっぱり指せません。

一人ひとりのメンバーは選手だったり、監督だったり、コーチだったりするけれど、「瀬戸内ドルフィンズ」ではありません。メンバーのお金を集めて事務所を作ったり道具を買ったりしたとしても、それらは「瀬戸内ドルフィンズ」のモノであって、「瀬戸内ドルフィンズ」自体ではありません。つまり、「瀬戸内ドルフィンズ」というものには実体がないのです。

でも、私たちは、何かのことを「瀬戸内ドルフィンズ」と呼んでいる。

カイシャというものも、これと同じ構図になります。「カイシャとはこれだ」と指で差せるものがないのです。少なくとも目に見えるものではありません。

それではカイシャとは一体何なのでしょう。

その答えの鍵を握るのは「会社(カイシャ)法」です。日本では集団で活動しやすくするために「カイシャ法」という法律が作られていて、それに沿って運営されています。

「カイシャ法」では、例えば株式会社だったら、取締役というものを必ず置きなさい、株主総会という会議を年に1回は開きなさい、株主総会ではこういうことを決めなさい、といったことが定められています。それに従うのは大変面倒くさいわけですが、それに沿って運用していると、カイシャは「法人」として認められ、個人に大きなリスクを背負わさないように、権利を保護してくれたりします。

カイシャの歴史を調べてみると、東インドガイシャが世界初の株式ガイシャだと言われています。ヨーロッパの人たちが大きな貿易をするために、お金を集めてカイシャを作った。そして、そのお金で船を買い、貿易を始めた。貿易で儲かったお金を出資者で分配した。今から400年ほど前の話です。

新進気鋭のITベンチャーが積極的に企業買収を仕掛け、社会の注目を集めた2005年ごろ、「カイシャとは誰のものか」という議論が話題になりました。様々な意見が出ましたが、結局、答えは収束しませんでした。カイシャは誰のものかという議論が難しいのは、そもそもカイシャには実体がないからです。

株主が持っているものは、あくまでも「株式」であって、「カイシャ」そのものではありません。株主は、株主総会で票を投じる権利や配当を受け取る権利を持っていますが、それ以上のものではないのです。カイシャのオフィスに設置された家具は、カイシャという「法人」の持ちものであって、株主のものでも社員のものでもありません。ですから、どれだけ多くの株式を持っていても、勝手に家具を持ち帰ったら越権行為になります。

カイシャが何なのか、ますますわからなくなってきました。

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「妖怪・カイシャ」の正体

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