ちいさなてのひらでも、しあわせはつかめる
“ちいさなてのひらでも、しあわせはつかめる。ちいさなこころにも、しあわせはあふれる――”
世界にヒーローはたくさんいるけれど、自分を食べさせるヒーローはアンパンマン以外にいない。ちっともハンサムじゃないし、カツコよくもない。だけど、そんなアンパンマンに、なぜかひどく愛着を感じていた。
出版から5年ほどたっても、アンパンマンは相変わらず地味で、ほめられることもなく、表面的にはちっとも目立たない存在だった。
だが、このころ、目に見えないところで何かが動く気配がした。近くの写真屋の主人が「幼稚園に行っているうちの坊主が、毎晩、アンパンマンを読んでくれって言うんだ」と言ってくれたりした。
図書館でも、『あんぱんまん』はいつでも貸出中で、新品を入れてもすぐにボロボロになると聞いた。
アンパンマンを最初に認めたのは、よちよち歩きから、3~4歳ぐらいの幼児だった。まだ字もあまり読めない、行動範囲もせまい。だが、なんの先入観もなく、好きか嫌いかを、本能的に判断するのだ。
成長が速いから、去年と今年で幼児は入れ変わる。だが、アンパンマンの人気は変わらず定着するようになった。
敵だけれど味方、味方だけれど敵
“バイキンは食品の敵ではあるけれど、アンパンをつくるパンだって菌がないとつくれない。助けられている面もあるのです。つまり、敵だけれど味方、味方だけれど敵。善と悪とはいつだって、戦いながら共生しているということです――”
アンパンマンが成功したのは、ばいきんまんの功績が大きい。自分で言うのもなんだが、ばいきんまんは世界的傑作だと思う。
ばいきんまんの登場によって、アンパンマンに、もうひとつのメッセージが生まれた。「共生」だ。バイキンは食べ物の敵ではあるけれど、実は、パンだって酵母菌がないとつくれない。バイキンも、食べ物がないと繁殖できない。
つまり、パンとバイキンは、敵だけれど味方、味方だけど敵という共生関係にあるわけだ。これは、われわれ人間にも言える。バイキンが絶滅すればいいのかというと、実はダメなのだ。人間も生きられなくなる。
人の体内にはおびただしい数のバイキンが生きている。健康な人は、バイキンと戦いながら、両方が拮抗して、ある種のバランスを保って生きている。
一度戦った細菌やウイルスに対して免疫ができる場合もある。だが、これで安心かというとそうではなく、次から次へと新型ウイルスが出現し、人は永遠にそれらと戦っていくことになる。
そうした戦いをせずに、ウイルスや菌と共生する知恵、それがワクチンだ。こうして敵対するものとも共生していく。それが人間の知恵のすばらしさなのである。
人生、90歳からおもしろい!
“80歳過ぎると人生のマニュアルがない。毎日が新鮮でびっくり仰天。見ること、聞くこと、やること、なすこと、すべてが未知の世界への冒険旅行だからおもしろい――”
年をとると時間のたつのが速いとは聞いていたけれど、なるほど年々速くなる。風のように時間が飛び立っていく。
このくらいの年齢になると、どう生きればいいかというマニュアルもなければ、お手本になる人もそうそういない。
老境は人生の秘境なのだ。
毎日、未知の世界への冒険旅行をしているようで、ますます生きるのがおもしろくなってくる。
「もういい年なんだから無茶はおやめなさい」といった世間の常識に従うことはない。元気を奪い、枷をはめてしまう言葉に唯々諾々と従っては、せっかくの長生きがもったいない。
「老人は老人らしく」しなくてもいいのだ。人間は人それぞれなんだから、「らしく」というひとつの価値観でくくる必要なんかない。
「いい年」だからこそ、やりたいことはどんどんやっていこう。
老年は家族への責任などから解き放たれて、自由に、気楽に、何をやっても許される年代なのだ。ワクワク、おもしろく、人生の終盤を生きていきたい。