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「お風呂は道路より危ない」入浴死は交通事故の7倍 一人の女性の溺死が残した謎

飯野守男(鳥取大学医学部法医学分野教授)

2026年09月18日 公開

「お風呂は道路より危ない」入浴死は交通事故の7倍 一人の女性の溺死が残した謎

入浴中の事故死は年間約1万9000人と交通事故の7倍にのぼる。その多くを占める高齢者の死亡のなかには、一見すると説明がつかないケースもある。風呂で発見された80代女性は、顔が浸からない水位の浴槽でなぜ溺死したのか。法医解剖医が死体検案で見抜いた驚きの真相と、日本が抱える解剖制度の歪みを明かす。

※本稿は飯野守男著『法医学教授が教えている死体の授業』(飛鳥新社)より一部を抜粋・編集したものです。

 

「風呂で死ぬ」

日本の入浴関連の事故死は推定年間1万9000人。

これは交通事故で亡くなる人の約7倍にも上ります。風呂で死ぬ人のほうが多いということ。そして入浴関連の事故死でとくに多いのが65歳以上の高齢者です。

私が死体検案をした80代の独居女性もその1人でした。しかし、入浴関連事故死にしては不可解な点が多すぎたのです。

「1人暮らしの母がお風呂で死んでいた。だが、亡くなった原因が溺死のようで溺死でないかもしれない」

私が解剖を担当する鳥取県では、警察が取り扱う死体は年間約1000体あり、そのうちの実に約100体、つまり10分の1が入浴中の死亡事故によるものです。県内の交通事故による死亡が年間17、18件しかないことを考えると、圧倒的に「道路よりも自宅の風呂のほうが命の危険がある」のが現実です。

自宅の浴室で遺体となって発見された80代女性もその1人でした。発見者は近所に住む女性の娘さんで「病院の日だから迎えに来た」ところ、全裸で湯船に浸かったまま死んでいる母親を発見。当初の死因はよくある溺死かと思われましたが、溺死にしては不思議な点があったため、私のもとへ運び込まれてきたのです。

発見時、女性は浴槽内で湯船に浸かったままの状態でした。お湯の設定温度は43℃が保たれており、状況を整理すると女性は死後2日間、全裸で43℃の湯船に浸かっていたと考えられます。

湯船の設定温度が高いことから、まずは熱中症が疑われました。熱中症になると、尿の色が濃くなります。高体温によって筋肉が壊され、筋肉を構成するミオグロビンというタンパク質が血液中に大量放出されて、その色素が尿を赤くするためです。

この女性の場合、すでに警察が膀胱に溜まった尿を採取しており、熱中症の所見があることが明らかになっていました。尿の採取は具体的には、尿道にカテーテルを入れて直接尿を外に出します。それが難しいときは、CT画像で膀胱の位置を確認し、下腹部の真上から採取用の長い針をスポッと突き刺して尿を採取します。

ちなみに尿の採取は異状死を調べる際の基本であり、どのような死因であろうとも基本的には全例採取します。なぜなら、薬物の影響は必ず尿の状態に現れるため、犯罪事件の証拠につながるケースも多数あるからです。

80代女性の話に戻しましょう。

お風呂で熱中症を起こして意識を失い、溺死するケースは決してめずらしいものではありません。通常であれば、法医学教室への死体検案や解剖に回されることもないでしょう。

しかし、この場合は遺族が「この状況で溺死はおかしい。母の死の原因をきちんと調べてくれ」と警察に訴え、警察側も犯罪の線はほぼ考えられないため、司法解剖まではいたらないが、死後CT撮影でわかることがあるかもしれないと考え、私のもとへ死体検案として運び込まれたのです。

なぜ遺族が不審に思ったのか。

それは、発見時の湯船の水位が、女性の顔よりもずいぶんと下だったからです。熱中症で仮に意識を失ったのだとしても、顔はお湯に浸かりようがないのだから、溺れ死ぬわけがない。だが警察の調べによると、鼻や口から泡が出てきたことから所見は溺死である。

「溺れようがないほど低い水位の風呂で、母はなぜ溺死したのか?」

遺族からのこの疑問に、警察は答えられなかった。だからこそ、本事案は死体検案に回ってきたのです。

 

死亡診断書の死因は“4段階で表記する”

そのような前提を踏まえて死体検案を行ったところ、死因はやはり「溺死」で間違いありませんでした。CTをみると肺や気管に水が入っており、肉眼でもそれを確認しました。外傷も一切なし。心臓血の採血もしましたが、異常はありません。であれば、溺死であるとの結論にいたるのが妥当です。

ちなみに、「死因は溺死である」と述べましたが、死因はそもそも1種類とは限りません。死亡診断書には「死因」の欄がア・イ・ウ・エの順に4段階あることは、一般にあまり知られていないのではないでしょうか。

謎の溺死を遂げた80代女性の場合私は下図のように死因欄を記しました。

死亡診断書

死因の欄が4段階あるのは、死にいたるプロセスをわかりやすく共有するため。死亡の原因を、下からエ→ウ→イ→アの順に記します。

この女性の場合は、入浴中に体温が上昇し熱中症となり(エ)、意識障害を引き起こし(ウ)、顔面が水没したあと水を吸い込んで気道が塞がったため(イ)、窒息(ア)によって死にいたった、となります。

死因欄の書き方は診断した医師によって異なるため、ウとエになにも書かず、「ア 窒息」「イ 溺水」と簡潔にすませる場合や、さらに簡単に「ア 溺死」と書く法医解剖医もいるでしょう。

さて、死因は明らかになりましたが、溺死にいたった理由はこの時点では不明です。発見した家族によると「顔はまったく湯船に浸かっていなかった」そうですが、その証言が正しいことはCT診断でも明らかになりました。つまり、死後に体勢を崩して湯船に顔を沈めたわけでもない。

では、なにを疑うべきか?

女性が亡くなった浴室を含まえた自宅の状況、そして発見されるまでに2日間の時間があったことを加味した結果、私としては「溺死したあとに湯船の水位が下がった」との見解に行き着きました。

80代女性が長年暮らしていた自宅は、家屋同様に浴室の設備も古いものだったそうです。発見されるまでの2日間に、お湯の温度は保たれたまま、けれども浴槽の底にある栓から少量ずつお湯が流れ出していたのだと考えられます。お湯ですから、蒸発によっても少しずつ失われていくでしょう。

流れ出る量はごくわずかずつでも、48時間が経てば水位は徐々に下がります。発見時に水面が顔より5cmほど下の位置だったのは、そのためだと推測できます。おそらく、死亡直後に発見されていれば、顔が湯船に浸かった状態のままで死因の特定はたやすかったでしょう。

若者であれば入浴中に熱中症でクラッとした症状が現れても、すぐに「熱い」と判断してお風呂から上がることができます。けれども、高齢者は「熱い」と意識しても体の動きが意識に追いつかないことが多々あります。

以上の見解を私から警察に口頭で伝え、遺族には警察から説明してもらいました。納得してもらえたかどうかまではわかりませんが、筋がとおっていることは理解していただけたのではないでしょうか。

 

日本では一般人がどれだけ望んでも、遺体の解剖をしてもらえないのが現実

今回の一件は80代女性の遺族が警察に訴え、かつ警察も納得できない点があったからこそ死体検案にいたりましたが、日本は望めば誰もが解剖してもらえる国ではありません。海外の人には驚かれるのですが、日本では家族の希望で解剖できる制度が存在しないからです。遺族がどれだけ希望しても、「お金ならいくらでも払う」と訴えても、制度上不可能です。

その死が不審なものであるかどうか、最終的に判断するのは警察です。

警察が医師から話を聞き、不審な点は見当たらないと判断すれば、解剖は行われません。患者さんのCT検査をしてくれる病院はいくらでもありますが、通常の病院で死者のCT撮影は行えません。仮に遺体をもち込んだとしても、十中八九、病院側が拒否するでしょう。

今回の80代女性が解剖にもち込まれたのは、「なぜ低い水位の風呂で溺死するのか?」という遺族の主張に説得力があり、警察もそれに答えられなかったからです。

このような場面でこそ死因の謎を解くプロフェッショナルとして、法医解剖医が必要とされるのです。

プロフィール

飯野守男(いいの・もりお)

鳥取大学医学部法医学分野教授

鳥取大学医学部法医学分野教授、副学部長。1971 年鳥取県米子市生まれ。鳥取大学医学部を卒業後、大阪大学大学院で博士号を取得。京都大学助教、大阪大学講師、ビクトリア法医学研究所(オーストラリア)客員研究員、慶應義塾大学准教授を経て、2015 年に現職に就任。医学生向けの死体の講義(法医学の講義、実習)が人気を博している。鳥取県唯一の法医解剖医として、県内の死体検案・解剖を一手に引き受ける傍ら、死後CT 診断の第一人者として、オートプシー・イメージング学会副理事長も務める。ドラマ監修やテレビ出演も複数。
著書に『死因不明社会2 なぜAi が必要なのか』(講談社刊、海堂尊らと共著)など。単著は本書が初となる。

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