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クルム伊達公子の幸福論「一歩前へ―Nothing to Lose」

2014年09月18日 公開

クルム伊達公子(プロテニス選手)

ナッシング・トゥー・ルーズ(Nothing to Lose)

 ただし、私が恐れていたのは、子どものことだけではなかった。

 あの時の決断が間違っていたということになるのが嫌だった。私としてはまったく違う気持ちでコートに立つつもりではいたが、復帰すれば、26歳の決断はやっぱり早すぎたのだと思われてしまっても仕方ない。加えて、世間に記憶されている1996年の時の私のイメージ。あまりにもかけ離れたプレイになったとしたら……とも考えた。

 11年半のブランクかどれだけ大きなことか、自分自身でよく認識しているつもりだった。テニスは1日練習を休むとそれを取り戻すのに3日かかると言われる。ブランクもあり、さらに37歳という年齢。もうあの時には戻れない。「やっぱりテニスをしたい」という気持ちがあるとはいえ、それだけで踏み切ってしまっていいものだろうか。とうてい歯が立つとは思えないし、想いだけでそこに立ってしまっていいのだろうか――。

 その時、マイクか言った。

 「ナッシング・トゥー・ルーズ(Nothing to Lose)。失うものは何もないじゃない」

 とてもシンプルな言葉だった。

 「いいじゃない、今の年齢で負けても問題ないよ。以前のようにできるわけない。それがどうしたの? 同じことはできるわけない。でも今だからできることだってあるよ」

 彼は続けて言った。私がやりたいと思い、やろうとしていることは、何も恥ずかしいことではない。たとえそれが失敗――全然歯が立たない、何もできないという結果に終わったとしても、これまでにやってきたことが消えるわけではないし、減るものでもない。反対にみなはすごいことをやったと思ってくれるはず。何も過去を引きずることはないと。今自分がやろうとしていることを、一からやればいいと言ってくれた。

 何をそんなに周りのことを考えているんだ。とにかくシンプルに、公子はやりたいんでしょ。だったら、やればいいじゃないか。プレッシャーは、自分自身でかけているだけなんだよと、彼は言った。

 思えばこの間、私はいろいろなものに取り組んできた。それでも本気で挑戦できるものをつかみ取ることかできなかった。それは、私にとってはやはり、テニス以外にあり得なかったのかもしれない。

 

幸福は誰に舞い降りる?

 チャレンジ第1戦のカンガルーカップ国際女子オープン。岐阜のスタンドは2000人の観衆で埋め尽くされていた。

 対戦相手は、私より20歳も若い現役高校生だった。11年半ぶりにプロとしてコートに立った最初の試合。今思い出しても、どちらに転んでもおかしくないような状態だった。何が起きるのかまったく見えない中でのスタート。

 ただし、たとえまったく歯が立たなくても私の目的はそこじゃない。どんな結果も受け入れるだけの心の準備はあった。

 ファーストセットを落とした。そこで何か吹っ切れた感じがあった。硬くなっていた試合用の筋肉がほぐれたとでも言えばいいだろうか。その後、セカンドセッ卜を取ってサードセットでは、身体が勝負を思い出していた。

 マイクが私の試合、それも真剣勝負を見るのは初めてだった。スタジアムに座る彼も緊張していたらしい。ちなみに1回戦を勝った後に彼は、もう心臓か止まりそうだったと言っていた。

 結果的には、この大会でシングルス準優勝、ダブルス優勝。この成績には我ながら本当に驚いた。ただあの試合を1回戦で負けていたら、その後のことは想像できなかったと思う。

 テニスから離れた11年半を過ごす中で私は、それまでにもち得なかった広い視野を身につけてきた。コートの中にいては見られなかったもの、観客の目や試合をはじめとした大会運営にかかわる人、メディアを含めていろいろな角度からテニスというものを見ることかできた。その経験を得たことによって、改めてテニスがとても好きなのだと自覚することができた。

 そうした年月を経たからこそ、かつての現役時代でしてきたこととはまた違うかたちでコートに向かうことかできるようになったのだと思う。

 ツアー中にあって、自分自身が勝負師になっていることを自覚することがある。再びこの世界に挑戦できているというそれだけで、もうこれ以上のものなどいらないと思う一方で、この世界にどっぷり浸かっていると、やはりグランドスラムで勝ちたいという欲も出てくる。

 さすがにグランドスラムで勝ち上がっていくなどというのは、それこそインポッシブル(Impossible)。あり得ないことだろうけれど、1回戦であれ2回戦であれ、その場所にやっぱり立っていたい。それほどグランドスラムという舞台は、テニスプレイヤーにとって特別な存在なのだ。

 ただし今は、できるかぎりの努力をして最善を尽くし、出た結果が負けになるのだとしても、私はそれを受け入れることができる。その中で観客や私の挑戦を見ていてくれるみなに伝えられることがあるとたしかに思えるのだ。

 ブランクを経て、40歳を超えても、まだ戦うことを楽しめる力。どのような状況にあってもあきらめない気持ち、ベストを尽くそうとする姿勢。それは、多少の背景は異なったとしても私だけに与えられた特別なものではない。当然同じプレイヤーである若手選手たちにも伝えられることであるし、テニスという競技の外にも通じるはずだ。

 常にチャレンジし続けるのは、やっぱり楽しいことだと思う。何かに向かっている時は誰でも、子どもと同じようにがむしゃらでひたむきになっている。その子どもの頃の気持ちをもち続けるのは恥ずかしいことでもなんでもない。むしろ大切なことのはずだ。

 そこには、ナッシング・トゥー・ルーズ(Nothing to Lose)という言葉がある。幸福とは、がむしゃらにつかみ取ろうとするものではなく、夢中になって楽しんでいる時にこそ、舞い降りてくれるものかもしれない。

 だから今。たとえ自分がどんな環境にいるとしても、一歩を踏み出す勇気をもつ。それも義務ではなく、楽しみながら。一歩を踏み出す少しの勇気を誰もが手にするようになれば、世界はきっと変わる気がする。

 


<書籍紹介>

幸福論
Nothing to Lose

クルム伊達公子著

失うものは何もない……結婚、不妊、現役復帰、続ける力。稀代のテニスプレーヤーが、一度引退し、再チャレンジの中で見つけた生き方とは。

 

<著者紹介>

クルム伊達公子(くるむ・だて・きみこ)

1970年生まれ。6歳からテニスを始める。1989年プロテニスプレーヤーに転向。1990年全豪オープンでグランドスラム初のベスト16入り。1993年全米オープンベスト8入り。1994年日本人選手初のWTA世界ランキングトップ10入り(ランキング9位)を果たす。1995年WTAランキング4位。1996年ウィンブルドンではシュテフィ-・グラフと決勝進出をかけて2日間の激闘の末、惜敗。同年マルチナ・ヒンギス戦を最後に26歳で引退。2001年レーサーのミハエル・クルム氏と結婚。2008年4月プロテニスプレーヤーとして「新たなる挑戦」を宣言。「クルム伊達公子」名で選手登録。復帰初年、全日本選手権シングルス・ダブルス制覇。その後、世界ツアーへ挑戦の場を移し、活躍している。エステティックTBC所属。

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