なぜ、あなたの中には「対照的な二つの性質」があるのか?
さて、ここで、次のような疑問が新たに浮かびます。
じつは自分の心の中には「読書好き」という要素が存在していた。
では、それまで「意識していた自分」、すなわち「読書嫌いの自分」というのは、誤ったとらえ方だったのでしょうか。
そうではないと、ユングは説明してくれます。
この人にとっては「読書嫌いの自分」も「読書好きの自分」も、両方「本当の自分」なのだよ。─―と。
つまり心には「自分について意識している部分」と「自分でも意識できていない心の奥底の部分」があり、この両者は対照的な性質を持っているものなのだ。―─と、これがユングの答えです。
ではなぜ、心はそんなふうになっているのでしょうか。対照的な性質が一つの心に宿っていることに、どんな意味があるというのでしょうか。人間にとって、そんなことにプラスの意味があるのでしょうか。
たしかに「対照的な二つの存在」というのは、「対立し、衝突するもの」あるいは「互いを否定し、攻撃し合うもの」といった感じがします。そんな存在にプラスの意味があるとは、思いづらいでしょう。
ですが、ユングはそんなふうにはとらえません。
対照的な二つの存在とは、ぶつかり合うものではない。互いの足りない部分を補い合うものなのである。対照的だからこそ、それが対立するのではなく、合わさることによって「一つの完全な形」になれるのだ。─―と。
つまりユングは、一つの心に「対照的な性質を持つ要素」どうしが存在するからこそ、その両者が合わさることで「完全な人の心」が導き出せる。どちらか一つだけしか現れていない心とは、じつは不完全な心なのだ。
―─と、心の全体の姿を示すのです。
※本記事は、長尾剛著『心のトリセツ「ユング心理学」がよくわかる本』(PHP文庫)より、その一部を抜粋編集したものです。