「無責任な評論家となるなかれ」胸に刻みたい渋沢栄一31の言葉
2020年12月08日 公開 2024年12月16日 更新
(写真:渋沢史料館所蔵)
「新しい生活様式」をどう身につけるか――。コロナ禍に苛まれる日常生活のなかで、誰もが変化を求められている。働き方にも、大きな変革が求められている。
本稿では、そうした現況にいる私たち日本人に有益な示唆を与えるであろう、「渋沢栄一」の31の訓言を紹介する。
日本の歴史上、ビジネスから生活様式にいたるまで、大変革が起きた明治維新期。その時代に躍動した渋沢の言葉には、変化・変革を生き抜くための哲学が息づいている。新しい自分を創り上げるうえで、この先人の言葉は、心に深く響きわたることだろう。
※本記事は、渋沢栄一[著]・PHP理念経営研究センター[編訳]『渋沢栄一 一日一訓』(PHP研究所)に収録された366の訓言の中から、31訓を抜粋・編集したものです。
「教育の目的は、天賦の本性を発揮させること」
(1)各個人は、国家や社会の一つの分子であるから、一挙手一投足がみな国家や社会に影響し、各個人だけで完結するものではない。
その失敗は国家や社会にまで影響し、死んだとしてもその責任をまぬがれることはできないのだから、人は自分だけのことと思って勝手なふるまいをしてはならない。
(2)社会の組織上、女性はその半分の責任を負っているものであるから、男性と同様に重んじられるべきである。
(3)すべてのことは、思うと同時に行なわなければならない。思う前に、まず学ばなければならない。いわゆる「知行合一」は、陽明学の骨子であり、孔子も「学んで思わざればすなわち罔くらく、思いて学ばざればすなわちあやうし」と言った。古人は決して私をあざむかない。
(4)人は軽薄で才能ある人となるなかれ。また無責任な評論家となるなかれ。
(5)昔から人は食うために働くか、働くために食うかという問題がある。人である以上、だれが食うために働く者があろう。働くために食うということにおいて、初めて人の人たる真価を認められるのである。
(6)競争は、たとえて言えば、あたかも人体の熱のようなものである。人間を生かすも殺すも熱である。商人を生かすも殺すも競争である。だから商人は常に正常な体温を保つように注意しなければならない。
(7)理論と実際、学問と事業、この両者がよく調和し、密着するときが、人として完全な人格となり、国として富強になるのである。
(8)常に愚痴と苦情を言って世の中を渡っている人がいる。はなはだしい場合は、苦情を言うのを楽しみとして、苦情を言わなければ気がすまないという人もいる。しかしこの不平や苦情は、その人の信用を損ねる原因となることに気づかないとは、気の毒なものである。
(9)教育の目的は、ただその学生の天賦の本性を発揮させることにある。
(10)わが国の武士道による義侠心と、米国の正義・博愛の精神とは、その国がらが異なるのとは違って、相互に通じ合うところがあると思われる。この一致点は、今後両国の親善をはかる際に、見逃すべきでない。
「人はその心を自由にしておかなければならない」
(11)心配したからといって、なるようにしかならない。つくせるだけつくせば、あとは安心である。
(12)つきあいが親密になるほど、お互いに敬意を払うようにすることは、もっとも大切なことである。
(13)人はその心を自由にしておかなければならない。心を広くしてものごとにこだわらず、仕事に当たって適切な能力を発揮することは、心に余裕がなければできないことである。
(14)個人の仕事でも、会社の事業でも、天運より、人の和が大切である。人の和さえあれば、たとえ逆境に立ったとしても、成功するものである。ここでいう人の和とは、四つの条件を備えていなければならない。
第一に志が堅実であること。第二に知識を豊富に持っていること。第三に努力する気持ちが旺盛であること。第四に忍耐力が強固であること。この四つを備えた和であれば、天の時も地の利も気にする必要はないだろう。
(15)人は逆境に立ったり、失意にくれたりしている場合は、一心に向上を図って、常に反省する気持ちが強いから心配ないが、得意の絶頂にある時のほうが極めて危険である。
(16)およそ人がこの世で生きていく上で、何ごとか成そうと思うのなら、戦国時代の武士のような覚悟が必要である。
(17)政治に王道と覇道の区別があるように、実業界にもまた、王道と覇道の区別がある。
(18)漢文学の主眼とするところは、『大学』に「修身、斉家、治国、平天下」とあるように、身を修め、家庭を整えるだけで終わりとせず、さらに進んで国を治め、天下を平和にすることも必要とする。だから、漢文学を学ぶものは、その志望が自然に天下や国家の上にあるようになる。
(19)人と談話するときに重要なのは、自分の心を相手の心に感応させることである。
(20)仕事が順調な人は、しばしば調子に乗る弊害がある。人間の世界は万事すべてが意のままにならないものである。かかるありさまがいつまでも続くだろうと、心に油断が生ずるものだから、まわりの誘惑に打ち勝つことができず、ついに過ちを犯すのである。