「無責任な評論家となるなかれ」胸に刻みたい渋沢栄一31の言葉
2020年12月08日 公開 2024年12月16日 更新
「礼譲ほど、美しいものはない」
(21)日月の照らすところ、雨露の潤すところ、草木の生い茂るところ、あらゆる動物の生息するところ、人間が利用できないところはないのである。
(22)学者が学におぼれて実地を軽んずること、実業家が現実ばかり見て学問と疎遠になることは、どちらも正しくない。
(23)人はとうてい歴史から離れることはできない。
(24)すべて世の中のことは、三回考えてもなお足りず、十回百回と考えることが必要な場合もあれば、また二回考える必要すらなく、ただちに実行しなければならない場合もある。要するにぐずぐずしない程度において、深く考え、熟慮すべきである。
(25)いかに仁義道徳が美徳であっても、経済活動を離れては、真の仁義道徳ではない。経済活動もまた仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない。
(26)正しいことと間違っていることを明らかにするのは、常識でもって判断を下せるので、迷うことはないが、いかにも道理が通っているように、言葉たくみに勧誘されると、知らず識らず普段の主義に反する方向に進んで、自分の本心がつぶされてしまうことがある。
したがって人はいかなる場合でも、その頭脳を冷静にして、自分を忘れないように注意するのが、意志を鍛える要点である。
(27)礼譲ほど、美しいものはない。
(28)船を動かすには、石炭や石油などの燃料がなくてはならない。事業の経営には、知識と道徳がなくてはならない。
(29)だれであっても世界に目を向けることが必要である。青年は特にそうである。
(30)古代の聖人や賢人が残した書籍、つまり孔子、孟子、あるいは釈迦、キリストなどの深遠絶大なる教訓は、万人の至宝である。
(31)天命とは、人生に対する絶対的な力である。この力に逆らって仕事をすることができないという事実は、これまでの歴史が証明している。
人々がみなこの天命を知ることによって、社会に秩序が生まれ、順序正しい活動ができ、事業が末永く続くようになるのである。
天命を楽しんで仕事をするということは、世の中で生きていく第一の要件であり、この本来の意味の「あきらめ」はだれでももたなくてはならない。