コットンハーバーと浅野ドック
山内埠頭北東部のコットンハーバー地区は、市場側からアクセスしづらいことが長年の難点だったが、2019年6月に歩行者専用通路(コットンみらいロード)が開通した。この通路沿いにガードレールに囲まれた穴のような遺構がある。浅野造船所のドック跡だ。
浅野総一郎によって1916年(大正5年)に創設された浅野造船所は、第二次大戦時に鋼材の輸出入で飛躍的な成長を遂げ、航空母艦や南極観測船の製造修理など国家的な大事業で名をなした。
1995年(平成7年)にドックが閉鎖され、工業区域だった当地を居住区域に転換する都市計画が動き出す。2000年代に入り、高層マンションを中心に結婚式場やスパリゾートを擁するコットンハーバー地区として生まれ変わった。
関東大震災時の忌まわしい記憶
一方でこの場所は、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺の忌まわしい記憶を宿してもいる。神奈川や鶴見の京浜工業地帯ではもとより朝鮮人の労働者が数多く生活していたこともあって被害が集中したが、浅野ドックだけでじつに48人もの朝鮮人労働者が犠牲になったことが実地調査にもとづく統計によって明らかとなっている。
惨劇から100年近い時が経ち、高層マンション群の向かいの星野町公園では、子どもたちが無邪気に遊びまわっていた。この公園は、万延の頃に勝海舟の設計にもとづいてつくられた神奈川台場の跡地で、園内には石垣の遺構がある。
公園の裏手には高島線の線路が走っていて、その奥の運河に面した住宅街にも石垣遺構があり、周辺は台場公園として整備されている。台場跡の一画には貨物駅としての役目を終えた東高島駅があり、長らく駐車場となっていたが、現在は新たな都市計画道路(栄千若線)の開通工事が進められている。