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帰ると家の中が滅茶苦茶に...52歳で「若年性認知症」と診断された妻との生活

岩佐まり(フリーアナウンサー、社会福祉士)

2023年03月07日 公開

 

中核症状で「親の死」も認識できず

診断が下ってまずやったことは、入院でした。食事が摂れなくなってしまっていたから、食べられるようになるまで入院することになったんです。

ところが、入院している最中に茨城のお母さんが亡くなったんですね。それで、病院に外出許可を貰って茨城まで帰ったんですが、カミさんはもう、お母さんが亡くなったことを認識できないんですよ。衝撃でした。

すごく仲がいい親子だったから、周囲は「悲しくて、亡くなったことを認めたくないんだろう」とか言っていたんですが、そうじゃない。明らかに理解できていないんです。

会話は、まあ普通にできますし、食事も少しだけ摂れるようにはなっていました。入院していた精神科の病院は、閉鎖病棟でちょっと重苦しい雰囲気なので、僕が行くと「こんなところは嫌だ。帰りたい、お父さんと一緒にいたい」って泣き叫ぶんです。 

お父さんというのは、僕のことですね。僕のことはわかっていたし、自分が置かれた状況も理解している。

だけど、お母さんのことは理解というか、認識していない。ぼうっとした感じで、感情が動かされないんです。だから、茨城まで向かう車の中でも、むしろ嬉しそうでした。僕と一緒にいられるから。

症状が進んでいたんでしょうね。認知症の中核症状に、時間や場所の感覚がなくなる「見当識障害」がありますが、それに近かったと思うんです。

 

認知症のひとが暴れる理由

ある日、営業で外回りをしていたら、母から電話がかかってきたんですよ。「2階から凄い音がするのだけれど、何か工事でも入ってるの?」って。僕たちは両親と二世代住宅で同居していたんです。

工事なんて頼んでないのに変だな、と思って帰ってくると、2階のベランダでカミさんがニコニコして手を振ってる。でもよく見ると、家の前の道路に、リビングの椅子がバラバラになって捨てられてるんですよ。

びっくりして2階に上がったら、唖然としましたね。家の中が滅茶苦茶に壊されてるんです。テレビは床に投げられ、ベッドは破壊され、本棚に並べられた本はバラバラになって……。カミさんが、僕の留守中にやったんです。

原因があるんです。僕が出かけて、閉め切った部屋にひとりで置いていかれて寂しかったり恐怖とかで混乱してしまうんです。理由なしに荒れたりはしません。

あと、カミさんが暴力を振るう相手は決まって僕。両親に手を上げたことは一度もありません。

認知症の人って、一番身近で、もっとも心を許せる人に乱暴になるんです。それ以外の人には、割といい恰好をしちゃう。認知能力が落ちているようでも、相手を認識して体裁を整えているんですね。

暴れるのにはちゃんと理由があるから、その理由を取り除ければ意外と穏やかに過ごせるんです。

カミさんの場合は、僕が放っておいたり不機嫌になったりするのがよくなかった。だから、家の2階を壊されてからは、営業のときは助手席にカミさんを乗せて外回りに行くようにしました。飼い犬も一緒に乗せてね。

家で仕事をするときも、仕事場は1階だったので、そのときだけはカミさんを1階に連れてきて隣に座らせていました。それだけでも、かなり落ち着きましたよ。

 

「悪魔の声」が聞こえる

すごく恐ろしかったのが、カミさんが徘徊するようになったことです。

2010年の6月、家の1階で仕事をしていると、ふとカミさんが家にいないことに気付いたんです。2階にいたはずなのに。

必死に捜していると、2時間くらい経った頃、警察から電話がありました。カミさんが高速道路を歩いているところを保護したと。

僕はこういう場合に備えて、カミさんの服のポケットに連絡先を入れておいたので、それを見て電話したんですね。

ぞっとしましたよ。車にはねられてもおかしくなかったし、もしそんなことになったら、はねた車の運転手の人生も狂わせてしまう。

それで僕は地域の徘徊SOSネットワークに登録し、家のドアも、鍵なしでは内側から開けられないものに交換しました。

この頃のカミさんは、一緒に犬の散歩に出かけると、スキを見て逃げ出すんですよ。僕は走って追いかけて、連れ戻す。

でも、いつものようにカミさんが逃げ出したあるとき、すごく恐ろしい考えが頭に浮かんだんですね。「もう追いかけるな。放っておけ」という。

……我に返った頃には、カミさんはもうずいぶん遠くまで走っていっていました。あわてて追いかけて連れ戻すことができました。すごく疲れていたと思います。

介護をしている知人も、入浴を助けているときに、ふと「このまま手を離したら……」と考えたと言っていました。介護をしていると、そういう悪魔の声が聞こえる瞬間があるんです。

著者紹介】岩佐まり(いわさ・まり)
フリーアナウンサー、社会福祉士。55歳で物忘れが始まった若年性アルツハイマー型認知症の母を、20歳から19年間介護している。現在は、要介護5となった母と夫との3人暮らし。在宅介護を支援するための個人事務所として「陽だまりオフィス」を立ち上げ、相談の受付や、全国での講演会活動を行う。2009年よりブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」を開始。同じ介護で苦しむ人の共感を呼び月間総アクセス数300万PVを超える人気ブログとなる。その後数々のテレビ番組でも特集され話題となり、2021年、TBSドキュメンタリー映画祭にて「お母ちゃんが私の名前を忘れた日~若年性アルツハイマーの母と生きる~」が上映される。著書に『若年性アルツハイマーの母と生きる』(2015,KADOKAWAメディアファクトリー)がある。

 

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