50代ともなれば、人生の折り返しを過ぎ、会社員であれば定年退職も迫ってきている年ごろ。徐々に会社人生から離れた後の“生きがい”を探っていくべきだ。こう指摘するのは、生活経済評論家の川北義則氏だ。
いわゆるミドルと呼ばれる50代男性は、これからどのように“男を磨く”べきなのだろうか。川北氏の著書より解説する。
※本稿は、川北義則 著『50歳からの男の磨き方』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
50代の転職や独立は…
人生80年時代、「仕事ひと筋」で生きてきた50代は、もうなかばを過ぎている。あと数年たてば、定年退職を迎えるだろう。そうなると、残っているのは家庭人生だけだ。
その準備を、いまから怠ってはいけない。
50代は仕事をこなしながら、オフの生き方も探っていく必要が出てくる。仕事という表地のケアも欠かせないが、オフの生きがいという裏地も紡いでいく。
会社人生から離れた定年後、個人として、さらに妻と二人だけの生活を、どう充実させていくか。そろそろ考え、少しずつ実行に移していくべき年代だろう。
もう、この年代になれば、会社でどんな不遇な目に遭っても、迂闊に辞表など出すべきではない。不況の折、就活学生も厳しいが、50代もそのしわ寄せを受ける。
可もなく不可もなく、順調に過ごしていればそれに越したことはないが、いくら左遷の憂き目に遭ったとしても、上司の無能ぶりに腹が立ったとしても、絶対に会社を辞めてはいけない。よほど抜きん出たスキルを持っていない限り、50代で転職や独立は無理と心すべきだ。
会社という組織は理不尽なところがある。だが、世の中は理不尽なものだということくらい、50代にもなればわかっているはず。
ある55歳のサラリーマンが、早期退職者制度で辞めた例がある。
割増退職金が出るというので、上司への不満もあって、それに飛びついた。たしかに手にした退職金で住宅ローンの残りは返済できたが、これといって手に職を持っていない50代後半の男に就職先はない。
夫婦2人だから何とかやっていけると思っていたが、年金がもらえるまで、あと10年をどうやって食べていくか頭を抱えている。収入はなく出費だけはかさむ一方、住民税や固定資産税、国民年金、健康保険料などなど、必要経費はどんどん出ていく。
いまは奥さんのスーパーのパートで少しの収入はあるが、いずれ行き詰まるのは目に見えている。
こんな例は、氷山の一角にすぎない。在職中はありがたみを感じないかもしれないが、会社を辞めたいと思ったら、まずあらゆる不満を抑えて、「今月も給料が出た」ことを実感すべきだろう。
不満をいえばキリがないが、それでも勤めていることで何かしらいいこともあるはずだ。仲のいい同僚とアフターファイブで飲むのが何よりの楽しみなら、それをプラスに考える。とにかく欠点ばかり数えていないで、「よかった探し」をしてみることだ。
過去の肩書にこだわる高齢者は「みっともない」
本文でも紹介したが、ある親会社の部長だった人が、定年退職で子会社に再就職した。子会社の人たちは、かつて親会社から天下ってきた人が威張り散らしていたこともあって、「またか」と不安になったが、今度の部長はそれを見事に裏切った。
全員に「さん」づけで応対し、腰も低く、「この会社では皆さんが先輩ですから、よろしく」という入社時の挨拶もあった。そして立派だったのは、前の会社での失敗話はよく話すが、決して成功談はしゃべらなかったことだ。「働けるだけ幸せ」が口グセだったという。
こんな人間なら、きっと以前の親会社でも部下から慕われる上役だったに違いない。
50代になれば、人間も練れてこなければおかしい。定年退職してから、以前の会社の肩書きがまだ頭に残っているのか、買い物の際も相手が売る側だと、やたらと威張る人がいる。
高齢者になればなるほど、それはみっともない。そんな生き方に警鐘を鳴らすために、私は『みっともない老い方』(PHP新書)という本を書いた。
かつて「男の顔は履歴書だ」といったのは評論家の大宅壮一氏だが、50歳を過ぎたら、自分の顔をじっくり鏡で見てみることだ。貧相で情けない男の顔になっていないか、どうか。
会社人間を卒業すれば、あとは夫婦だけの個人になる。夫婦仲がよいのはいいが、あまりべったりも考えもの。そのためには在職中から一人で行動するクセをつけておくに限る。
一人で映画や観劇に行ったり、あるときは一人旅もいいだろう。気のおけない男同士の連れがいれば、これもまた楽しい。いまから会社以外にも友人をつくっておきたい。
夫婦はお互いにプライバシーを干渉しないことだ。「つかず離れず」が夫婦長持ちのコツでもある。プライベートを少しずつ充実させていく――これも50代から定年までを上手に生きる基本である。
とにかく、会社を離れて、高齢者の仲間入りをするようになったら、くたびれた中古車になるより、格好いいクラシックカーになってもらいたい。