僧侶が諭す、相手を言い負かしたいだけの「不要な夫婦喧嘩」の終わらせ方
2023年06月09日 公開
家族、恋人、同僚へのイライラが収まらない...生きていると様々な場面で怒りの感情がこみ上げてくることがあります。マイナスな感情に吞まれて心が消耗してしまうことも。僧侶の大愚元勝さんは、不要な怒りにとらわれすぎないための訓練が必要だと語ります。その方法を解説します。
※本稿は、大愚元勝著『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』(アスコム)より内容を一部抜粋・編集したものです。
怒りをつくり出すのは他人ではなく「自分の心」
恋人やパートナーに裏切られたとき、その怒りは「裏切ったあいつのせい」で発生しているのではありません。自分はその人を信頼していたにもかかわらず、裏切られて自分が不利益を被ったと感じた結果、自分の心の中で、自分自身が発生させているのです。
「好きだった芸能人の不倫」も、直接本人に会ったこともしゃべったこともないのに、自分のなかで勝手に「あの人は清楚で真面目」というようなイメージをつくり出していて、その期待が裏切られたから、結果的に自分が攻撃されたと感じて怒りが湧いてくるわけです。
裏切られた、不利益を被ったと思うのは、その人は裏切らない人、自分に不利益を与えない人だと、勝手に思い込んでいた=妄想していたからです。
「こうあるべきだ」という自分のなかの価値観や過去の記憶、勝手に信じていること、感じていること、考えていること、期待していたことを、否定されたと思ってしまう――これが、人間の心の中にある怒りの正体です。
生きものである以上、怒りを完全に捨てることはできませんし、生存本能として「必要な怒り」もあります。しかし、この「妄想による怒り」に支配されてしまうと、心身を病んでしまうことにもなりかねません。よって、不要な怒りにとらわれすぎないための訓練が必要です。
大事なのは怒りに燃料を投下しないこと
例えば、夫婦で意見が食い違って、口喧嘩になったとしましょう。お互い相手に対して怒っていて、一歩も引かなかったとします。しかし、その際にくり出される「売り言葉に買い言葉」が、怒りの燃料になっているのです。
最初は「今日の洗濯物を洗濯カゴに入れていなかった」のが発端だったとしても、「そういえばこのあいだはゴミの捨て方が間違っていた」とか「前から思っていたけど食器の洗い方が雑だ」などと、その日の話とは関係のないネタが燃料としてどんどん投入され、ボヤで済むはずが、大火事に発展してしまうわけです。
こうなると、喧嘩に勝つこと、あるいはなんとかして自分が正しいことを認めさせることが目的になり、相手に打ち勝つためにあらゆる材料を探して火にくべている状態になります。まさに、不毛の争いです。
ここで大事なのは、「自分で燃料を投入している状態」になっていることに気がつくことです。気がついたらまず、その場から一度離れましょう。「逃げるの?」などと言われても無視をして、なにか言い返したくなる気持ちもグッとこらえて、一目散に退避してください。そして、相手のいない場所に移ったら落ち着いて深呼吸。
すると、さっきまでカッカしていた自分がまるで嘘のように、冷静さを取り戻すことができます。相手もそれは同じ。燃料さえくべなければ、怒りの炎は鎮まるものなのです。