「他人に認められなければ」と常に不安や焦燥感に襲われてつらい...。そんな人が心を安定させ、安らかに生きていくにはどのような心構えが必要なのでしょうか。
心理学者の加藤諦三さんが、「先哲の言葉」が持つ意味をひもときながら、「マイナスな感情から離れる方法」について語ります。
※本稿は加藤諦三著『ブレない心のつくり方』(PHP文庫)より一部抜粋・編集したものです。
ワーカホリックもアルコール中毒も原因は同じ
不安に対する反応の1つとして迎合という態度がある。
依存心の強い人は、相手を直接、意識的に憎むのは怖い。そこで敵意を抑圧する。つまり敵意を無意識に追いやる。そこで本当は敵意があるのに相手に迎合する態度になる。
相手に気に入られたいからマイナスの感情を表現しない。それが迎合である。迎合する人は直接的に感情表現ができない。
不幸な人は、なぜ相手を喜ばそうとするのか? 思いやりから相手を喜ばそうとしているのではない。他人を喜ばそうとすること自体が悪いのではないが、問題は「私は相手に気に入られたい」という動機である。
その動機ゆえに「本来の自分」を裏切る。この抑圧から不安が生じる。迎合の隠された動機は敵意である。そして表面的に迎合すれば迎合するほど無意識の領域で敵意が強くなる。迎合すればするほど無意識の領域で相手が嫌いになる。しかしそれを表現できないからいよいよ自分が頼りなくなる。
抑圧された敵意が一そう多くの不安を生みだすということは、よく知られている現象である。(註1)
なかには不安からワーカホリックになる人もいる。仕事をしないではいられない。仕事をしていないと不安に直面してしまうからである。リラックスしたいけどリラックスできない。休んでいても休んでいない。
不安を静める一つの方法は、熱狂的に活動しまくることである。(註2)
ワーカホリックの人は、自分は仕事熱心だと思っていることがある。社会もワーカホリックの人を、アルコール依存症のようには非難しない。でも実は、ワーカホリックもアルコール依存症も心理的には同じことである。
人は小さい頃からさまざまな屈辱を味わう。多くの人は、劣等感で心が傷ついている。その心の傷を癒やしたい。そのために、社会的に成功して世の中を見返そうとする。その劣等感を動機とした努力は、残念ながら人を救わない。
世界中の人から賞賛を浴びても劣等感に苦しんでいる人がいる。世界的に有名なスターやセレブが、薬漬けになったり、自殺したりが、ご存じの通り珍しくない。
不安な人は、業績は自分を救わないということをまずしっかりと認識することである。
不幸になる努力をしている人は、不安から逃げている。業績を上げることに逃げている人の典型がワーカホリックである。そしてもちろん、やがて消耗して業績を上げられなくなる。
それでも不安から逃れるために仕事に執着し続ける。そして最後には燃え尽きる。業績を上げ続けていないと不安だから仕事を止められない。肉体的にはもうこれ以上仕事をしてはいけない、休まなければいけないと分かっていても、不安だから仕事を止められない。
今自分のしていることは自分にとって望ましくないと分かっていても、止めると不安に襲われるから止められない。
自分にとって望ましいと頭で分かっていることをしようとすると不安になる。そして自分にとって望ましくないと分かっていることをしないではいられない。しかもその仕事は辛い。決して楽しいことではない。それでも止められない。止めて不安に襲われる方がこわいのである。
ワーカホリックもやがては社会的に挫折する。だから「自分は今心理的に病んでいるのだ」ということをまず自覚することである。自分の出来ないことをしようとして、無理するのは向上心ではなく劣等感がさせる行動である。
われわれは、たえず"成功"を求めて努力すべく駆りたてられている。これは自分の自我を確認し、不安を和らげる大事な方法である。(註3)
この説明はよく分かる。不安な人はとにかく人に認められたい。簡単にいえば、他人が不当な重要性を持ってしまった自己不在の人である。そうなってしまうのは成長に対する安全性の優位である。人から認められることで、自分の自我を確認する。