どれだけ本を読んでみても、どれだけ机に向かってもアイディアがまとまらない...。考えが行き詰った時は、どう対処すべきなのでしょうか。お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが、思考力を高めるために、日々意識すべきポイントについて語ります。
※本稿は、外山滋比古著「こうやって、考える。」(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
考えごとは朝にする
ものを考えるのは、朝、目覚めてからの短い時間がいい。よく眠ったあとの朝は気分爽快で、頭の中の様子はわからないが、夜、寝る前よりは、きれいになっているにちがいない。
そこで考えたことが、一日中でベストであると決めた。もともと、夜になってからものを考えようとしたことはなかったが、一日中、着想を求めていたのは、少し不自然であると考えるようになった。
『知的生活習慣』より
知識に甘えない
知識は有力であり、適当に使えば知識は「力」であるけれども、困ったことに、知識が多くなると、自分で考えることをしなくなる。知識があれば、わざわざ自分で考えるまでもない。
知識をかりてものごとを処理、解決できる。知識が豊かであるほど思考力が働かない傾向になる。極端なことを言えば、知識の量に反比例して思考力は低下する、と言ってよいかもしれない。
『「マイナス」のプラス』より
誤り、失敗を怖れない
アイディア、発明、発見の基本的姿勢として、「常識を疑え」というのがある。既存の権威なども常識に支えられているから、だいたいにおいて非創造的であるのを避けられない。そう考えてみると、誤っておこったこと、失敗したことは、常識を超越しているためにクリエイティヴであるのだと考えられる。
そうだとすれば、失敗、誤り多き人生は新しいものを生み出すのに適していると評価することができるようになる。
『アイディアのレッスン』より
しゃべらない
いい考えが得られたら、めったなことでは口にしてはいけない。ひとりであたためて、寝させておいて、純化をまつのが賢明である。
話してしまうと、頭の内圧がさがる。溜飲(りゅういん)をさげたような快感がある。すると、それをさらに考え続けようという意欲を失ってしまう。あるいは、文章に書いてまとめようという気力がなくなってしまう。
しゃべるというのが、すでにりっぱに表現活動である。それで満足してしまうのである。あえて黙って、表現へ向かっての内圧を高めなくてはならない。
『思考の整理学』より
超随意的思考に任せる
考えるには、あまり、勤勉でありすぎるのもよくない。ときどきなまける必要があるらしい。その空白と見える時間の間に、ナマな思考が熟して醱酵が準備されるのである。
どんな忙しい人間でも、夜は必ず寝るが、この休息こそ創造的思考にとっても、もっとも重要な苗床となる。すべてを忘れて眠っているようであるが、そのじつは意志の力ではどうにもならない超随意的な思考が進められているらしい。
『知的創造のヒント』より
感想を書く
本などもただ読みっ放しにしないで、あと、かならず感想を書く習慣をつけるようにしたい。これがどんなにわれわれの精神を大きく豊かにしてくれるか、はかり知れない。書くことはおっくうであるが、頭脳をよくするもっともよい方法は書くことだ。とにかく、書いてみることである。
『ちょっとした勉強のコツ』より
一回性の思考を逃さない
ものを考えたり感じたりしたとき、とりあえず記録するノートはその人間の精神生活の履歴書のようなものである。このうえない貴重なものになる。ひとりの人間が偶然のように考えたこと、というのは一回性のもので、一度消えたら永久に還ってこない。
『知的創造のヒント』より
手帳を最大限に活用する
手帳のメモは思いつくままに書きつけて行くのだが、書きっ放しではおもしろくない。すこし風を入れたら見直してやる。そこでなおおもしろいと思われる考えはふくらむ可能性がある。用意したほかのノートへ移してやる方がいい。
そういうとき、もとのメモ群がただ雑然と並んでいるのではなく、通し番号がついていると参照のとき便利である。記入した日の日付けも添えておくと思わぬときに役に立つ。
『人生を愉しむ知的時間術』より
すてる知識を選ぶ
本はたくさん読んで、ものは知っているが、ただ、それだけ、という人間ができるのは、自分の責任において、本当におもしろいものと、一時の興味との区分けをする労を惜しむからである。
たえず、在庫の知識を再点検して、すこしずつ慎重に、臨時的なものをすてて行く。やがて、不易の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。
『思考の整理学』より
忘却してから記憶する
勉強したら休み時間をとる、のでは順序が逆で、まず休んで、頭の中をきれいに、いくらかハングリーの状態にしておいてから勉強にする。おいしい勉強なんてあるものではないが、ハングリーなら、まずいものは少なくなる。忘却から記憶、忘却から記憶というようにすれば、われわれの頭はずいぶん能力が高まるだろう。
『忘却の整理学』より