ライターとして数え切れないほどの媒体で執筆し、また"推し活のプロ"としてTVやラジオにも出演している横川良明さん。著書もあり、傍からは順風満帆な人生に見えるけれど、じつは本人は幼少期からの"自己肯定感の低さ"に悩まされていました。自分が嫌いなことには誰にも負けない自信がある(?)横川さんの、些細なことにもつまずいてしまう七転八倒の日々とは?
※本稿は、横川良明著『自分が嫌いなまま生きていってもいいですか?』(講談社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
世の人々はいつ連絡先を交換しているのか?
大人になっても全然わからないことはたくさんあるけど、その中のひとつが「人はいつどのタイミングで連絡先を交換するか」である。自慢ではないけれど、僕は人とLINEを交換したことがほとんどない。というか「あ、LINE聞いていいですか」 という会話になることが人生でほぼないのだ。本当に自慢にならなくて悲しい。
そもそも僕は自分から他人にアプローチをかけるということが極端に苦手だ。LINEに限らず、SNSでも相手を自分からフォローすることはまずない。
10年ほど前、Facebookが全盛を極めていた頃、なにがいちばん嫌だったかと言うと、実名で登録しなければいけないことでもなければ、やたらタグ付けしてくる上司でもなければ、ビジネスマンとしても人としても成長したがる意識高い系の投稿でもなく、「友達申請」というシステムだった。
「知り合いかも」の一覧に知人を見つけても「友達を追加」と表示されるたびに、「い、いや。友達というほどの付き合いでもないしな......」と腰が引けるし、「そもそも友達の定義とは......?」とひとり哲学教室を開講してしまう。
Facebookが廃れたのは、「友達」というホットなワードでつながり合うには、日本人がシャイすぎたせいだったからではないかと思っている。
「SNSでのつながり」特有の面倒くささ
じゃあTwitterならいけるのかと言うと、そんなことはまったくなく、いまだに自分からフォローするということがてんでできない。なぜかと言うと、自分がフォローをすることで、相手は特につながるつもりはなかったのに「あ、フォロー返さなきゃな......」と義務感を抱かせてしまうことに、めちゃくちゃ抵抗があるからだ。
SNSというのは残酷なツールで、リアルで会っている分には違和感がないのに、ツイートだけ見ていると「ウッ......」となる人が結構多い。その「ウッ......」も一度や二度くらいなら我慢できるのだけど、毎日習慣のようにタイムラインに流れてくると、もはや「ウッ......」を超えて「ウゼエ」の一言である。
だけど、特に知り合い同士の場合、良くも悪くも一度相互フォローとなってしまうと、なかなかつながりを切れない。結果、こっそりミュートにしたりして、謎の罪悪感に苛まれてしまうのだ。
だから僕は知り合いを見つけても絶対に自分からフォローはしないし、たまに取材をした俳優さんとかがなんの親切心かフォローをしてくれたりすると、腹の底から「余計なことを......」という怨嗟の声が湧いてくる。
できるなら、さっとその人のアカウントに不正ログインして、僕のフォローを解除したい。それくらいSNS上で知り合いとつながることに面倒くささがある。