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彬子女王殿下に、日本美術コレクターのジョー・プライス氏が伝えた「日本人が忘れてはならないこと」

彬子女王

2024年04月26日 公開 2024年12月16日 更新


↑伊藤若冲/雪竹錦鶏図 (Metropolitan Museum of Art)

新しい出会いから、新しい気づきや学びを得る――。

かつて英国のオックスフォード大学マートン・コレッジに留学し、博士号を取得された彬子女王殿下は、留学期間中に体調を崩され、休養期間をとられたことがありました。

その時期にお会いになったジョー・プライス氏(2023年4月逝去)に、「現代の日本人が気にしていない、でも忘れてはならないとても大切なこと」を気づかされ、学びを得られたのだそうです。

※本稿は彬子女王著『赤と青のガウン』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。

 

ジョー・プライスさんと日本美術、そして伊藤若冲

ジョー・プライス。日本美術が好きな人であれば、一度は聞いたことのある名前だろう。「奇想の画師」といわれる伊藤若冲(じゃくちゅう)を、日本美術の世界の人気者にした立役者の一人である。

ジョーさんは、アメリカのオクラホマ出身。お父さまは石油パイプラインで財を成した富豪で、ジョーさんはその関係から以前は石油パイプラインのエンジニアだったのだそうだ。

あるときジョーさんはお父さまの会社の建物の設計を、帝国ホテルを設計したことで有名なフランク・ロイド・ライトに頼んだ。ライトは日本美術に造詣が深かったことで知られるが、彼に連れられていったニューヨークの古美術商で、偶然伊藤若冲の作品に出合ったのだそうだ。

その作品を気に入り、購入したことをきっかけにして、江戸時代の絵画、とくに若冲の作品を集めるようになる。そうして蒐集されてきたプライス・コレクションは、長い期間をかけて質量ともに世界有数の江戸絵画コレクションとなったのである。

その噂を聞きつけた日本美術史家たちが、ロサンゼルス近郊の高級住宅街コロナ・デル・マーのプライス邸を訪れるようになる。こうして、ほぼ無名の画師であった伊藤若冲は、ジョーさんのおかげで再評価をされ、徐々に日本人の目に触れるようになった。

そして、2006年、東京国立博物館における初の外国人のコレクション展として「若冲と江戸絵画」展が行われて以来、日本で空前の若冲ブームが起こっている。

 

「めでたくプライス・コレクションの調査」へ

5年間の留学中、私は何度か体調を崩した。なかでも2006年の後半は、研究活動と論文執筆が思うようにいかず、家庭内の問題も重なって、精神的にかなり参っていた。夜眠れないことや、なんでもないときにぽろぽろと涙が出てしまったりすることもあった。

その様子をみていた〈指導教授の〉ジェシカは「しばらく論文執筆から離れて休養しなさい」と休学を勧めてくれた。そこで私は思い切って1学期間大学を休むことにし、2カ月を日本で、1カ月をいままで足をのばしていなかったアメリカでの調査に充てることにしたのだった。

日本美術を所蔵するアメリカの美術館・博物館は数多い。ひと月かけて、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、ハンフォード、ロサンゼルス、アリゾナを回り、日本美術コレクションの調査をさせていただいた。

ヨーロッパとはまた違った蒐集の歴史や傾向があり、とても勉強になった旅だった。この旅の途中でお世話になったのが、プライスご夫妻なのである。

私の学習院時代の恩師である小林忠先生からは、19世紀の日本美術コレクションを考えるうえで、現代の外国における日本美術コレクションを知るのは有意義であるからと、プライス邸に行くことを以前から勧められていた。

そして、〈ロンドン大学SOASで当時博士課程に在籍していた友人の〉シンヤさんは以前からプライスご夫妻と親しいということで、ご夫妻が来日されたときに紹介をしてもらった。

ご夫妻は快く訪問を承諾してくださり、私はめでたくプライス・コレクションの調査をさせていただくことになったのである。

 

江戸時代の絵画を鑑賞するときに大切なのは「自然光でみる」こと

プライス邸訪問は旅の後半。冬でもさんさんと太陽の光が降り注ぐ西海岸間を過ごしていたので、ロサンゼルスに着くころには随分と元気になっていた。

プライスご夫妻は、コレクションをみに訪れる研究者や学生のために、ご自宅の近くに専用のコンドミニアムをもっておられる。そこに1週間ほど滞在させていただき、コレクション調査はもちろんのこと、近郊の美術館をご案内いただいたり、おいしいものを食べに連れていっていただいたりした。

この訪問がきっかけで、プライスご夫妻とはとても仲良くなり、来日されるときは毎回ご連絡をいただき、私の企画するシンポジウムなどにご協力いただいたりもしている。

日本美術についてジョーさんから教わったことはたくさんあるが、そのなかで私の心に残るいくつかのお話をご紹介したいと思う。

プライス邸には、作品を鑑賞するための特別の部屋がある。いつもその部屋で調査をさせていただくのだが、調査ができるのは太陽が出ているあいだだけと決まっている。陽が落ちたからといって、電気をつけて調査を続行するのは許してくださらない。

それは、江戸時代の絵画は、蛍光灯のような人工光の下で鑑賞することを想定されていないからである。画師は電気の光でみるための作品を描いたわけではない。だから、自然光以外の光で江戸時代の作品をジャッジするのはフェアではない。

そして、忘れてはいけないのは、「画師が想定した環境下で作品をみなければ、作品の実力や、当時それを鑑賞した人びとの感動を味わうことができない」というジョーさんの持論なのである。

プライス邸でその話を聞いてから作品をみせていただくと、作品がまったく違ってみえるようになる。屛風は同じ場所で動かないのに、刻一刻と印象が変わりつづける。

北向きの窓から間接的に入ってくる光。その量や角度の違いによって雰囲気ががらりと変わる。ひとたびその変化を味わうと、自然と1つの作品を鑑賞する時間が長くなる。みる場所を変えつつ、作品に対峙しているうち、絵画からさまざまな物語があふれ出す。

 

「目の前に繰り広げられる不思議」に魅入られていく

夕暮れどき。目の前にあるのは『平家物語』の合戦の様子が描かれた屛風。窓から差し込んだ赤い陽の光が作品を鮮やかに染め上げる。陽が落ちていくにしたがって、表情の変化はスピードを増す。屛風に映り込む影から、雲の動きや風の速さもわかる。

合戦の様子がスポットライトを浴びたように浮かび上がり、描かれている人びとの表情が変わり、金色の雲がきらきらと輝く。その場にいた皆がいつの間にか声を潜め、目の前に繰り広げられる不思議に魅入られていった。

やがて夕日が落ち、部屋が暗くなる。しばしぼんやりとしていた私にジョーさんがいう。

「さあ、今日のショーはおしまい。ご飯を食べよう。今日は僕の大好きな寿司だよ」

このときの合戦図屛風の美しさはいまも目に焼き付いている。なるほど、江戸時代の人たちはこうして絵画を楽しんでいたのだ。現代の日本人が気にしていない、でも忘れてはならないとても大切なことをアメリカ人のジョーさんが教えてくれた。

ジョーさんは私にしてくださったのと同じように、江戸時代以前の美術を自然光のなかでみることの大切さを、この何十年も日本人に訴えつづけている。紫外線などで作品が傷むという観点から、日本の美術館や博物館で、自然光で日本の絵画をみる機会はない。

唯一、プライス・コレクション展では、プライスさんの意向により、照明の角度を調節し、明るさを変化させることで、自然光で作品をみるのと似た状況をつくり出すという試みが行われた。

光の変化で表情を変える作品を食い入るようにみつめる観客の様子をみて、プライスさんは自分の考えが間違っていなかったことを確信したという。

私も自分の身に覚えがないわけではないが、日本美術研究者は初めての作品に出合うと真っ先に落款や印章を確認し、真贋の判断をしてしまいがちである。

そんなわれわれをみて、ジョーさんはいう。

「どうしてそんなに作者の名前を気にするんだ。目の前にこんなに素晴らしい作品があるのに。作者に失礼だ」

たしかに、そのとおりなのだ。そんな日本美術の当たり前を私に教えてくれたのは、ジョー・プライス氏だった。

 

世界広しといえども――「ちょっと誇れる私の小さな自慢」

日本美術や作品について語らせると止まらないジョーさんだが、お茶目な一面もある。

あるとき「ジョーさんは料理ができるのか」という話になった。「ほとんどしないけれど、昔はよく娘のためにパンケーキを日曜日にはつくってあげていた」というジョーさん。

パンケーキを焼いているジョー・プライス。なかなかイメージが難しい。「ジョーさんのパンケーキ食べてみたーい」とせがむと、なんと翌朝につくってくださるとのこと。

そして翌朝。側衛とご自宅にうかがう。そこには、エプロンをしたジョーさんがパンケーキミックスの入ったボウルを左手、お玉を右手に、真剣な表情でフライパンと対峙している。後ろでフキンを握りしめながら心配そうに見守る〈奥さまの〉エツコさん〈2023年8月逝去〉。なんだか私もドキドキハラハラ。

「ジョーさん、ほんとうに大丈夫?」そんな言葉を心のなかでつぶやく私をよそに、ジョーさんはパンケーキを焼きはじめる。すごく小さな丸いパンケーキをつくり、そして、大きなパンケーキをつくる。どうやら不器用だからそうなっているわけではなさそうである。

しばらくみていると、大小のパンケーキが合体して、なんとディズニーランドでみたあの世界一有名なネズミ君になったのである。その昔、お嬢さんたちにつくってあげたのと同じものだそうだ。ちょっといびつだけれど、チャーミングなそのネズミは、ジョーさんの気持ちがこもっていて、なんだかちょっと懐かしい味がした。

世界広しといえども、ジョー・プライスの手料理を食べたのは、ご家族を除いては私だけだろうと自負している。世の日本美術史研究者たちに、ちょっと誇れる私の小さな自慢なのである。

〔追記〕2013年3月から9月まで、東北3県でプライス・コレクションの「若冲が来てくれました」展が開催された。被災された方たちのお気持ちを美しい日本美術で慰めたいというご夫妻の思いに端を発するものである。お二人の日本への愛にあらためて敬意を表したい。

 

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