「人間は劣った存在」アドラー心理学の本質がわかる5つの言葉
2024年05月23日 公開
『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健・著/ダイヤモンド社)のブームによって、日本人に広く知られるようになったアドラー心理学。その中でよく知られている共同体感覚や劣等感という考え方の本質には、「人間とは何か?」という問いがあります。アドラー本人が、この問いにどう答えていたのか。アドラー心理学の理解がずっと深くなる、彼の言葉を紹介します。
※本稿は『超訳 アドラーの言葉』(岩井俊憲訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。
人間はとりわけ弱い動物の一つ
ダーウィンによると「弱い動物は単独では生きることができない」という。人間もまた、とりわけ弱い動物の一つだ。単独で生きることができるほど強くないからだ。
人間は、自然界ではあまりに無力だ。
生命を維持するためには、多くの助けとなる文明手段や道具が必要だ。
この事実は、たった一人で、助けとなる文明手段や道具のない状態で、山奥で生活することを想像してみればわかりやすい。
人間は、他の動物に比べて、あまりに危険な状態にいるといえる。他の動物と戦って生き抜くために必要な速い足をもっていなければ、強い筋力もない。猛獣のような牙、鋭い聴覚、遠くまで見る視力ももっていない。人間が生き残り、滅亡を防ぐためにはとてつもない努力が必要となる。
『人間知の心理学』より
人間の精神・思考の発達は鋭い角や牙の代わり
元々は動物と同様の環境の中にいた「人間」という種が、鋭い角や爪、牙などを進化させて、厳しい自然界を生き抜こうとしたら、生き残ることはとてつもなく困難であっただろう。
けれども実際は、人間は心・精神や頭脳といったものを進化させることに成功した。
これらが有機体としての人間には欠けているものを補完したのだ。
そして、「不完全である」「劣っている」という意識が常にあることにより、人間は、予見能力を発達させることができ、思考・感覚・行動するための器官として、精神を発達させることができたのだ。集団をつくり、社会を形成することにもなった。
よって、精神の能力は、社会の中でのみ発達する。人間のどんな精神も、共同体・社会に沿うものでなければならないのだ。
『人間知の心理学』より
「動く」からこそ心をもつ
「心・精神」は、動くことができ、生きている有機体にだけ存在する。「心・精神」は、「自由に動くことができること」と密接に関係しているのだ。
深く根を下ろしている植物には、感情や思考は存在しえない。植物は、「動くことはできないのに苦痛が訪れることがわかる」とか、「苦しい事態を予測できるのに、その事態から身を守ることができない」とか、「理性や自由意志をもっているのに、この理性や意志を使ってはいけない」などといったことはない。
「心・精神」と「自由に動くことができること」には関連があるので、心・精神が「ない」植物と「ある」動物とをはっきりと区別することができる。
『人間知の心理学』より
人間は「完成・完全」を目指して努力する
アドラー心理学は、「人間の進化」を抜きには考えられない。人間は他の動物と比べて進化という点では著しいものがある。それを支えたのは、不完全で弱いからこそ「完成・完全を目指して努力する」という人間の行動だ。
「生き延びよう」と渇望する人間の欲求と、「完成・完全を目指して努力する」ことはしっかりと結びついている。だから私たち人間の言動は、いつもマイナスの状況からプラスの状況になることを目指すようにできている。
『生きる意味を求めて』より
人間は赤ちゃんの頃から絶えず成長しようと努力する
精神は、「動く」からこそ存在し、「目的」を目指して努力するようにできている。人間というものは、本当に小さい赤ちゃんの頃から、絶えず成長しようと努力するものだ。
「目的」とは、「完全であろうとすること」「優れていようとすること」「理想に近づこうとすること」といっていい。この目的や努力は、人間独自の能力である「思考」と「想像力」を駆使して、一生ずっと私たちの行動すべてに関わり続ける。
『子どもの教育』より