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サイゼリヤがヒットを生み出せる理由 「白いアマトリチャーナ」爆売れの裏側

堀埜一成(サイゼリヤ元社長)

2024年07月09日 公開

個人消費低迷、原価高騰、人手不足など苦境の外食業界において、安さとおいしさで人気を集めているのが、イタリアンレストランチェーン「サイゼリヤ」です。

2009年から2022年までサイゼリヤの社長を務めた堀埜一成さんは、社長時代に毎年恒例の視察旅行をおこなっていました。厨房スタッフを連れてイタリア各地を回っていたのです。ここでは、そこで生まれたメニューの話を紹介しましょう。

※本稿は『サイゼリヤ元社長が教える 年間客数2億人の経営術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。

 

「白いアマトリチャーナ」ができるまで

2016年に話題を集めたアマトリチャーナというパスタの誕生は、いろいろな偶然が重なっています。

アマトリチャーナは以前から日本にもあって、私もその存在は知っていました。でもそれは、トマト味のロッソ(イタリア語で「赤い」を意味する)のアマトリチャーナでした。その年の視察旅行は、イタリア半島中部の山岳地帯の豚肉の産地を回ってからローマに向かうコースでした。視察を終えてローマに向かう途中、ふと思い立って地図を見ていたら、そこにアマトリーチェという街があるのを見つけたのです。

「これ、アマトリチャーナの発祥の地ちゃうか? 行ってみようや」というわけで、予定になかったその街を訪れ、そこにあったレストランに入ってみました。予想は大当たりで、アマトリチャーナはたしかにありました。しかも、ロッソ(赤)とビアンコ(白)、2つのアマトリチャーナがあったのです。

お店の人に「ビアンコなんてあるの?」と聞くと、「トマトより前にあったから、白いのがオリジナルや。トマトが入ったロッソはたかだか200年くらいの歴史しかないで」というからビックリです。ただ、そのときは「おもしろいな」と思っただけで帰ってきました。

 

アマトリーチェがイタリア中部地震の被災地に

それから数年後の2016年、本部の成果報告会開催中にスマホをいじっていると、「イタリア中部地震」の文字が目に飛び込んできました。この地震は別名「アマトリーチェ地震」と呼ばれているように、被害の中心地だったアマトリーチェでは多くの死傷者が出ていました。そこで連絡をとってみると、なんと、私たちにアマトリチャーナをつくって出してくれたおばあちゃんまで亡くなっていたことがわかったのです。

私はその場でアマトリーチェに寄付することを決めました。そのために、アマトリチャーナを売り出そう、ロッソとビアンコを両方とも売り出し、1皿あたり100円ずつ寄付しよう(販売価格は税込み399円)、それが1億円貯まったら現地に持っていこう、と矢継ぎ早に指示を出します。

地震が発生したのは8月24日、そこから急いでアマトリチャーナ・ロッソとビアンコを商品化し、「イタリア中部地震復興支援」「1皿につき100円を寄付します」と明記して、国内全店で売り出したところ、爆発的に売れてあっというまに目標の1億円に到達しました。

そこで、地震発生からおよそ2か月後の10月23日、1億円をもって社員が現地に飛んだのです。熱烈歓迎されたようで、地元テレビ局でも取り上げられました。それもあって、サイゼリヤの名前は、一部のイタリア人のあいだに浸透しています。日本でも、アマトリチャーナという料理の名前が一般化しました。

 

みんなの知らないイタリア料理を探せ

アマトリチャーナはアマトリーチェで昔からつくられてきた伝統的なパスタ料理。豚ほほ肉の塩漬けと羊乳でできたペコリーノチーズという地元の食材でできたビアンコがまずあって、そこにトマトを追加したロッソがあとからできました。

そういうルーツがわかると、いろいろなことが見えてきます。

たとえば、アマトリチャーナ・ビアンコに卵が入ったら、カルボナーラになる。カルボナーラはローマ発祥とされているので、アマトリーチェからローマに移ったときに卵が入ってカルボナーラができたのかもしれないなと想像がふくらみます。さらに追いかけていくと、ローマには粉チーズとブラックペッパーのみで仕上げたカーチョ・エ・ペペというシンプルな伝統パスタがあり、すべてはそこから派生したのかもしれません。

このアマトリチャーナの成功によって、「みんなの知らないイタリア料理を探せ」というのがひとつの開発目標になりました。大人気となったラム肉の串焼きアロスティチーニも、日本人は誰も知らないけど、イタリアでは昔から食べられていたものを商品化したのです。それがSNS時代にマッチしました。SNSでバズったおかげで、アロスティチーニは売れすぎて生産が間に合わないという、うれしい誤算までありました。

 

著者紹介

堀埜一成(ほりの・いっせい)

サイゼリヤ元社長

1957年富山県生まれ。京都大学農学部、京都大学大学院農学研究科修了。81年味の素に入社。87年ブラジル工場へ出向。98年同社発酵技術研究所研究室長。2000年サイゼリヤ創業者・正垣泰彦に口説かれサイゼリヤ入社。同年、取締役就任。2009年代表取締役社長に就任。2022年退任。食堂業と農業の産業化をミッションとし、 13年の在任期間でサイゼリヤ急速成長の基盤づくりを行うと共に、店舗省エネ、作業環境の改善、工場品質の安定化、食材加工技術の基礎研究、脳波による嗜好研究など、独自の感性で会社の進化を牽引した。

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