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吉井理人監督が明かす、“選手の自主性”だけでは強いチームは作れない理由

吉井理人(千葉ロッテーマリーンズ監督)

2024年08月21日 公開


photo/小川孝行

WBCで投手コーチとして侍ジャパンと共闘し、千葉ロッテマリーンズで監督として就任初年度で前年5位のチームをAクラスにまで引き上げた吉井理人監督。

筑波大学大学院でコーチングを学んだ経験を持つ、球界きっての知将が「自ら伸びる強い組織=機嫌のいいチーム」づくりの秘訣とは? 今回は吉井監督がもっとも大切にしている「選手に主体性を持たせること」の大切さについて、書籍『機嫌のいいチームをつくる』より紹介します。

※本稿は『機嫌のいいチームをつくる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。

 

主体性と自主性には違いがある

私がこれまで務めてきたピッチングコーチやピッチングコーディネーターの仕事は、大まかに言えば投手部門のことだけを考えていればよかった。

だが、監督へ昇格することによって、チーム全体について考える必要がある。さらに球団本部長との関係、オーナーやスポンサーとの関係など、全方向に意識を向けなければならない。必然的に、仕事に臨むにあたってのマインドセットの大幅な変更が求められる。

とくに重要なのが、監督という仕事に取り組むにあたっての「基本方針」である。何を優先するか、何を重視するか、何を求めるか、何をやらないか―─。監督が覚悟をもって基本方針を決めることで、チームの色が決まる。私は、真っ先に決意したことがあった。

「選手に主体性を持たせ、自ら考え、自ら決断し、自ら行動できるようになってもらいたい。そのためにできることはすべてやる」

常々思っていたのは、主体性と自主性には違いがあることだ。それぞれの言葉の意味を見ると、次のように説明されている。

・主体性─自分自身の意思や判断に基づいて行動を決定する様子

・自主性─当然になすべきことを、他人から指図されたり、他人の力を借りたりせずに、自分から進んでやろうとする様子

このように、主体性と自主性は明確に意味が違う。主体性には自分の意思や判断が含まれているが、自主性には含まれていない。

学生野球や社会人野球などアマチュア野球を含め、日本の野球界には人に言われたことを率先してやれる選手は多い。アドバイスや指導を受けた際、納得していなくても、あるいは何も考えずに、言われたままやる。ただし、そこに「イヤイヤ感」はなく、積極的に取り組む。これが自主性である。

 

主体性と自主性の大きな違いは、モチベーションに表れる

一方、アドバイスや指導を受けなくても、自分の強みや弱みを自分の頭で考え、強みを伸ばし、弱みを底上げする方法も自ら模索し、それを自分の責任のもとに行うことができる主体性のある選手は、私の知る限りほとんどいない。

主体性と自主性の大きな違いは、モチベーションに表れる。

自分で決定することと、人に決められてやることでは、モチベーションが異なる。集中の仕方も違えば、持続する期間も変わる。調子が悪くなった場合、すべてを自分で決めていると振り返りによって何が悪いのか認識しやすい。さまざまな意味で、主体的に自己決定をしていくことは、スポーツ選手にとって大きくプラスになる。

この主体性のある選手の代表格が、引退したイチロー選手や、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有選手、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手などだ。

高い技術を身につけようとしたとき、自分が納得し、自分でやろうと思って練習しなければ、なかなか身につかない。彼らが世界でも最高クラスの選手に上り詰めることができたのは、持って生まれた才能だけではなく、主体性を持って野球に取り組んでいたことが大きく作用している。

もちろん、プロに入ってきたばかりの若い選手たちは、いきなりすべてのことを自分で決断できない。そもそも、まだ何をしていいかさえわかっていない。指示を出してトレーニングさせないと、何もできずに終わってしまう。

ただ、指示を出されて取り組んでいくうち、やがて自分の頭で考えられる選手と、そうでない選手に分かれる。自分の頭で考えようとしない選手は、いつまで経っても指示待ちとなり、実戦では使えない選手になってしまう。その差はおそらく、時間が経てば経つほど開いていく。

これは、私自身も経験している。現役時代、私は指導者に言われたことを鵜呑みにするのが嫌だった。指示されたことでも、自分で考え、自分で決断して行動してきた。だからこそ、日本でもアメリカでもそれなりの成果を出せた。

 

「常識」に振り回されてはいけない

12年に及ぶコーチ時代に、さまざまな選手を見てきた。主体性と自主性の違いが、選手の成長度合いや成長スピードをまったく変えてしまうケースを目撃してきた。主体性を持って、自ら思考、決断、行動ができるプロ野球選手を数多く育てたい。この思いを実現する「覚悟」を持って、私は監督業に臨むことを決意した。

プロ野球チームは、言うまでもなく強いチームが勝つ。勝つチームが強いと言ってもいい。いずれにせよ、そのチームには主体性を持った選手が必要だ。そのうえで、自分の特徴をいかんなく発揮できるチームが強い。この信念を貫こうと決めた。

こう考えた理由のひとつに、自分で考えることなく、野球界の「言い伝え」のようなものを鵜呑みにして状況に勝手に色をつけ、できもしないことをやり始める選手が多いことがある。ピッチャーには、こんな「常識」に振り回される選手があとを絶たない。

「味方に点を取ってもらった次の回は、何としても抑えなければならない」

当然に聞こえる。たしかに、否定する理由はない。おそらく、味方の得点によってゲームの流れがこちらに来ているのだから、次の回に点を取られてその流れを相手に渡してはいけないという意味だろう。

だが、よく考えてほしい。そもそも、ピッチャーは味方に点を取ってもらったから抑えるわけではない。ピッチャーは、常に相手打線を抑えなければならない。与えていい失点など、1点もないはずだ。

にもかかわらず、その「常識」にとらわれ、次の回は絶対に点を与えてはならないと無意味に力む。もともと厳しいコースにビシビシ決めるコントロールもないくせに、そこを狙ったことで力みが増幅され、かえってコントロールを乱してしまう。妙な「常識」にとらわれた結果、逆にピンチを招いてしまうことになる。

これは、ピッチャーに典型的な例だ。自分の頭で考えていない証拠である。主体性を持ち、自分の特徴やできることを正確に把握していれば、自分ができることに集中しようとする。それができる選手の集団が大人のチームであり、ファンから見て魅力的なチームになる。そうしたチームが、強いチームになっていくのではないか。

バッターにも「常識」はある。

「インコースに詰まるのは、みっともない」 

インコースが苦手な選手でも、バッターの習性やプライドが邪魔をして、インコースに詰まることを嫌がる。むしろ、インコースを攻められたら思い切り叩きたいという理想を追いかけている選手も多い。

しかし、その理想を追いかけても、プロの優れたピッチャーのインコース攻めを、インコースが苦手なバッターがそう簡単に打てるわけがない。主体的に考えられる選手であれば、無理に苦手なコースを狙わず、得意なアウトコースを待って打つことができる。

この選手に対して「インコースが来ても振らない。見逃し三振でもいいから、アウトコースだけに的を絞って打つ」という結論に、監督として導けるかどうかが問われる。

たとえば、インコースを狙うことが得策ではないと納得させるだけのデータを見せ、選手が主体的に「自分の特徴はインコースを打つことではなくアウトコースを狙うことだ」と納得し、実際にアウトコースを狙うバッティングに変えるところまで導くのだ。

自分の頭で主体的に考えて納得すれば、選手はどのようにしてアウトコースを狙うかを自分で考えることができる。ピッチャーとバッターの間では複雑な駆け引きが行われるもので、最初からアウトコースを狙う素振りを見せれば読まれてしまう。狙いを見せずにアウトコースを叩くための戦術は、主体的な思考から生まれる。

それができるかどうかが、強いチームと弱いチームの分かれ目になる。主体的な思考があれば、同じ失敗を繰り返す確率が下がり、効果的な戦術を実現できる可能性が高まるからだ。もちろん、選手が主体性を持っても、即座に強いチームに変わるわけではない。ただ少なくとも、主体性を持たせることで確実に選手は変わる。そのことが、チームを強くすると信じている。

では、監督として選手に主体性を持たせるために、どのような環境をつくるか。主体的になった選手を、どのようにして束ねていくのか。

監督にその度量がないと、主体性を持たせようとして結果的に選手を放置してしまうことになる。結果、選手の成長が停滞する。逆に、主体性を持たせることに成功しても、やっていることが監督の意に染まらないからといって、指導しようとする。それでは、主体性を持たせることに意味がなくなる。

実際、2023年シーズンの二軍で、何もわかっていないルーキーたちにも「自分たちで考えてやれ」と指示した。その結果、練習しない選手たちが出たという。選手のレベルに応じてさまざまな手を打っていかなければならないのは、コーチングの基本である。二軍監督や二軍コーチに「それ」を徹底させなかったのは、私の責任だ。全体をマネジメントするのが監督の仕事である。

ただ、すべての選手に監督の目が届くわけではない。一軍のコーチや二軍の監督・コーチに、基本的なコーチング方法を熟知してもらわなければならない。

コーチの主たる役割は、技術を教えることではない。その選手が主体的に技術を向上させていけるように、気づきを与えることだ。前著『最高のコーチは、教えない。』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)にも書いたように、教えないコーチングをしなければならない。

コーチングは、選手の持っている優れたものや強みを、選手自身に気づかせるためのスキルだ。コーチがそのような意識でコーチングし、選手が主体的に考えることで結果を出す。監督は、そのイメージを浸透させる役割を担わなければならない。

 

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