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生き方

「仕事では頭を下げられても、家族には謝れない人」の複雑な心理

林健太郎(エグゼクティブ・コ-チ)

2024年09月24日 公開

年齢を重ねるにつれて、素直に謝ることが難しくなる人は少なくありません。家族には謝れないのに、仕事では頭を下げられる...という人も、なかにはいるでしょう。人間にとって「謝罪すること」が難しい本当の理由について、書籍『「ごめんなさい」の練習』より紹介します。

※本稿は、林健太郎著『「ごめんなさい」の練習』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

 

謝ることは、人間の本能にさからう行為

なぜ私たちは、すかさず「ごめんなさい」を言えないのでしょうか。

答えは簡単、言いたくないからです。

人間は、そもそも「ごめんなさい」を言いたくない生き物だといえます。なぜなら、「ごめんなさい」が必要な場面というのは、相手から怒りや不満をぶつけられる状況であって、人間にとって1つの危機だからです。

「責められている! だから反論しなきゃ」と考えるのは、危機に直面して自分を守ろうとする、生き物としての自然な反応です。

逆にいうと、危機に直面して立ちどまるのは人間の本能にさからう行為で、とてもストレス度の高いことだといえます。それでも人に謝るのは、人間が社会的な生き物だからです。小さな子どもは、「ごめんなさい」とは無縁の自我だけの存在です。「自分は悪くない」という本能に忠実に従って生きています。

ですが、保育園や幼稚園、小学校などの社会に参加していくなかで、自分以外の存在を意識するようになり、ときに「相手を怒らせたかな」「悲しませたかな」と動揺しながら「謝ったほうがいいのかな。でも嫌だな」という葛藤を味わいます。そうやって、そのつど失敗しながら学習していきます。

つまり、「ごめんなさい」というのは、子どもから大人へと成長・成熟するにつれて獲得していくコミュニケーションの技術といえます。

 

歳をとると素直に謝れなくなる理由

基本的には、人生経験を重ねるにつれて発達していく技術ですが、一度獲得した「ごめんなさい」の技術を手放してしまう人も一定数います。あなたのまわりにも、「歳をとるほど頑固になって謝れなくなる人」「権力や社会的地位を手にして急に高圧的になった人」「あきらかに自分が悪いのに絶対に謝らない上司」などがいませんか。

そうなってしまうのは、たとえば、「謝らなくても、なんとかなった」「相手が先に謝ってくれたから、自分は黙っていてもいい」「謝ると、かえって面倒なことになる」といった経験をして、そこからよくない方向に学習してしまったからです。

人間は、ついラクな方向へと流れがちです。「ごめんなさい」の技術も、努力しつづけないと「衰える」のです。

 

謝れるリーダーは部下から尊敬される

もし、あなたが職場で部下を持つ立場なら、ぜひ「ごめんなさい」を言えるリーダーを目指してみてください。

今は昔と違って、「俺についてこい!」という強権型のワンマンリーダーの時代ではありません。部下と対等な関係を結んで、自分が間違ったらきちんと謝れる人に、若い人はついていきたいと思っています。

どんな優秀なリーダーでも間違うことはあります。間違ったときは、むしろ「これは『ごめんなさい』を伝えるチャンスだ!」と考えてみませんか。

たとえ間違っていなくても、普段から「ごめん、今いい?」「ごめん、伝え方が悪かったね」といったひと言がサラリと出てくる人は、部下といい関係を築くことができます。上司の様子を、部下はちゃんと見ているのです。リーダーが謝れる人になれば、部下たちも謝れるようになります。

「小さなごめんなさい」が自然と交わされるような職場には、心理的安全性が生まれます。メンバー同士が責めあうことなく、リラックスしながら、おたがいの力を出しあえる職場では、成果も出やすいでしょう。

 

なぜ身近な人ほど謝りにくいのか?

仕事では頭を下げたり、謝ることができたりしても、家族には素直に「ごめんなさい」を言えないという人がいます。部下や同僚にきちんと謝れる人でさえ、パートナーや子どもに対しては謝りにくいと感じている人が少なくありません。

そこには、どのような心理が働いているのでしょうか。考えられるのは、次の3つです。

 

①ついボロが出てしまう

仕事で「ごめんなさい案件」が発生する頻度は、多くても月に数回でしょう。

一方、家族となると、その頻度が一気に跳ね上がります。「トイレの電気、消してよ」「お風呂場で、ちゃんと体を拭いてから出てよ」「トイレットペーパーの芯、そのままにしないで」「ゴミ、ちゃんと捨てて」......など、1日のなかでも数回、多いと数十回も起こります。

仕事とは、コミュニケーションの頻度も密度も桁違いだからです。そうなると、仕事ではとりつくろえていたのに、「でも」「だって」「しょうがなかった」といった言い訳や反論の言葉が、つい口から出てきます。そんなふうにして、家族にはついボロが出てしまうのです。

 

②そもそもの期待値が高い 

だれしも、いちばん身近な存在である家族に対しては、「こうあってほしい」「こうしてほしい」という理想や願いがあります。

家族は、仕事上での相手よりも、そもそもの期待値が高いのです。部下に対しては「ああ、ごめん。これじゃ伝わらないよね」と言えても、家族に対しては「これくらいわかってよ」「こっちのことも考えてよ」「言わなくてもわかるでしょ」といった甘えが出てしまいます。

 

③関係がずっと続いていく

仕事での関係は切ろうと思えば切ることもできるので、「まあ、その場しのぎで適当に謝っておけばいいや」という選択もできます。ですが、家族はずっと続いていく関係です。そういうわけにはいきません。

「あ〜、ごめん、ごめん」と適当な返事をしたら、「なにに怒っているかわかってないでしょ!」「全然気持ちがこもってない!」「口先だけで謝っても意味ない!」なんて返ってくるでしょう。適当に謝ると、すぐにばれてしまうのです。

実際に適当さが家族にばれて面倒になった経験をした結果、「ちゃんと謝ろう」ではなく「下手に謝ると、またやっかいなことになるから黙っていよう」という、よくない方向への学習につながるケースもあります。

 

以上、3つのどれかに思いあたることはありませんでしたか。

仕事では「立場があるから」「この人に反論すると面倒だから」といった損得勘定が働くので謝りやすいのですが、より純粋な意味での身近な存在であり、もっとも大切にしたいはずの家族ほど「ごめんなさい」を言いにくいのです。

 

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