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生き方

罪悪感の原因になる「三毒」とは? 禅僧が実践する、マイナス感情を手放す習慣

枡野俊明(曹洞宗徳雄山建功寺住職)

2024年10月29日 公開

曹洞宗徳雄山建功寺の住職の枡野俊明さんは、「普通に生きているだけで過ちを積み重ねてしまうのが、人間の定め」だと説きます。自らの過ちに罪悪感を抱いてしまった時、どのように対処したら良いのでしょうか? 書籍『罪悪感の手放し方』より解説します。

※本稿は、枡野俊明著『罪悪感の手放し方』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

 

すべて投げ捨てると、うまくいく

大切な人を失い、自責の念を感じている。やめたいのにやめられないことがある。気にしすぎる性格で、ささいな失敗にもクヨクヨしてしまう。ひどいことをした自分が幸せになっていいのか、疑問を感じている。

こうした人たちに共通しているのは、誠実であること、愛情深いこと、責任感が強いこと、周囲によい影響を及ぼそうと願っていること。そのせいで、何事も「自分のせいだ」と感じ、罪悪感を過剰に抱え込んでいます。

罪悪感を覚えるのは、決して、悪いことでも、珍しいことでもありません。しかし、同じようにネガティブな出来事があっても、それを自分のせいとは感じず、平気で暮らしている人もいるのです。変えようもない過去について、いつまでも自分を批判し続けるのは、よい習慣だとはいえません。

むしろ、そんな素晴らしい心を持った方こそ、たまには愛情を自分に向け、自分を許し、重すぎる肩の荷をおろしてほしいと、私は思うのです。

そのためなら、ときに一切を投げうっても構いません。自分がとらわれているものを手放し、自由になった心で、あらためて考えてみてください。

あなたが本当に望む人生とは、どのようなものですか?
そのような人生を歩むために、「今」なすべきことはなんですか?

「放下著(ほうげじゃく)」という禅語があります。「すべての思慮分別や、経験なども一切を捨てなさい」という、ずいぶんと思い切った言葉です。こんなエピソードがあります。

ある禅僧が、長い修行の果てに、ついに「悟りを得た」という瞬間がやってきました。「もう自分はすべてを捨て切った。執着心さえも湧いてこない」というのです。そこで師に尋ねました。

「放下著といいますが、私にはもう捨てるものがありません。これ以上、何を捨てればいいのですか」

問われた師は、こう答えました。

「捨て切ったという思いさえも捨てなさい」

この禅問答は、穏やかな心を手に入れるには執着心を手放す必要があることを示しています。これから人生という山の頂を目指すのに、わざわざ重い荷物を背負うことはない。身軽になりなさい、ということです。こうした「何事にもとらわれてはいけない」という教えは、禅の根本にあるものです。

感情もそうです。人間ならば、震えるほどの喜び、怒り、悲しみ、楽しみがあるのは自然なこと。しかし、そうした感情をいつまでも引きずるのは、よくない。特に過去の出来事については、「もう変えようがないんだから、放っておきなさいな」という力の抜けた言い方をします。

過去を振り返るのは構わないのです。しかし、意識を振り向けるのは罪悪感ではなく、「次はどうしよう?」のほうではないでしょうか。このように、行動も考え方も飄々としていて、融通無碍(ゆうずうむげ)なところが、禅の持ち味でもあります。なにしろ、融通無碍という言葉自体、禅からきているのですから。

「放下著」の教えも、決して「過去を無かったことにしろ、忘れろ」と言っているのではありません。むしろ、過去を受け入れつつも、それにとらわれない「今」を生きる大切さを説いているのです。

曹洞宗の開祖・道元禅師も、「放てば手に満てり」、つまり手放した分だけより素晴らしいものが満ちてくる、という言葉を残しました。道元禅師はきっと「手放すことは失うことではない、むしろ手放すことでより自由で豊かな心が得られるのだ」と弟子たちに伝えたかったのでしょう。

ちなみに、「放下著」の教えを体現した人物として、お釈迦様の弟子の一人、アングリマーラがいます。殺人や盗みなど多くの悪事を重ねていたアングリマーラでしたが、あるとき、心を入替えて出家しました。当初は、アングリマーラの改心を誰も信じませんでした。やはり、過去は変えようがないのです。しかし、懸命に修行を続けるアングリマーラの姿はやがて多くの人々に認められ、尊敬される存在となったのです。

 

「三毒」を遠ざけ、懺悔する

もちろん、罪悪感のもとになるような行いや言動を慎むことも、大切です。仏教では、あらゆる煩悩の根本には「三毒」がある、という考え方をします。それを貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)といい、人生において克服するべき心の毒だとします。

貪とは、貪りの心です。なんでも必要以上に欲しがり、一つを手に入れても「もっと、もっと」が止まりません。瞋は怒りです。欲しいものが手に入らない、他人が思い通りにならないときなどに膨れ上がり、ときには人に感情をぶつけることもあります。痴とは、愚かさのことです。常識や道徳を知らず、物事の正しい判断ができない状態、この世界の真理が見えない状態でもあります。

人は皆、三毒にとらわれており、禅の修行は、その克服のためともされます。このとき、三毒にとらわれないよう修行者が実践するべきとされるのが、「六波羅蜜」。すなわち、布施 、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう)、智慧です。

布施は、物や金品を差し出すという意味もありますが、それだけではありません。お釈迦様の教えを説くことを法施(ほうせ)、人の心を癒やすことを無畏施(むいせ)といいます。

持戒は戒律を守ることです。その一例が、不殺生戒(殺してはいけない)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい・盗んではいけない)、不邪淫戒(ふじゃいんかい・不道徳な性の交わりをしてはいけない)、不妄語戒(ふもうごかい・嘘をついてはいけない)、不酤酒戒(ふこしゅかい・酒を飲んではいけない)をまとめた「五戒」です。

そして忍辱は、耐え忍ぶこと。精進は、一生懸命努力すること。禅定は精神を一つに集中すること。智慧は、ほか5つの波羅蜜を実践することで身につく世の真理を見極める力です。

ただし、普通に生きていれば、三毒による過ちを積み重ねてしまうのが、人間の定めです。悪気なく口にした言葉が自分の知らないところで人を傷つけることもあれば、ただ歩いているだけで小さな生き物を踏み潰してしまうこともあるでしょう。それは決して避けられないことです。結局のところ、生きている限り罪を犯さない人はいないのです。

それでもなお、私たちは自分のなすべきをなし、生き続けなければならない。罪の意識に、とらわれ続けてはいけない。そのため、過去の過ちを清算する儀式が、仏教にはあります。それを略布薩(りゃくふさつ)といいます。

これは、日々の行いを懺悔し、身も心も清浄にするための法要のこと。僧侶が行う儀式ですが、一般の方も参加できる機会があります。そのとき、必ず唱えるのが懺悔文(さんげもん)という短いお経です。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

(訳)
私が過去に行った過ちはすべて、始めもわからない遠い過去から積み上げてきた貪瞋痴の三毒によるものです。それは身(身体、振る舞い)、口(言葉)、意(心)が行った三業(さんごう)から生まれたものです。今、私はそれらすべてを悔い改めました。

心のなかで悔い改めるというだけなら、わざわざ大げさな儀式などしなくてもよいだろう、と思う方もいるかもしれません。しかし、これは「仏様の前で」やるから意味があるのです。

考えてもみてください。人は生きているうちに、心にさまざまな「鎧」を着込むようになります。会社員として、上司として、部下として、父として、母として、夫として、妻として、先生として、生徒として等々、さまざまな社会的地位や肩書が「こう生きねばならない」という執着を生みます。これでは、心の底から生き方を改めようという気持ちにはなかなかなれません。

ところが、仏様の前で手をあわせていると、自然と心が洗われ、生まれたときそのままの清らかな心が、姿を現すのです。そこで人は嘘はつけません。仏の前での懺悔は本当の懺悔であり、仏の前での誓いは本当の誓いになるのです。とはいえ、一般の方が略布薩に参加できる機会は、そうはないでしょう。

それでも、心配はいりません。大切なのは、自分がしたことを日々省みる習慣を持つことです。

私は、折に触れて懺悔文を唱えることにしています。反省するべき点があれば、必ず改めると誓ってからその日を終える。罪悪感を手放すための、小さな習慣です。

もう一つのアドバイスは、自然のなかに身を置くことです。海を眺め、山を歩き、生き物の気配を身体で感じてみる。その心地よさに身体を預けてみる。自然の雄大さの前では、三毒など取るに足らないものに感じられるでしょう。

 

著者紹介

枡野俊明 (ますの・しゅんみょう)

曹洞宗徳雄山建功寺住職

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、庭園デザイナー、多摩美術大学名誉教授。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。また、2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。近年は執筆や講演活動も積極的に行う。

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