柳井正「あなたが変われば、未来も変わる 」
2012年09月27日 公開 2022年12月01日 更新
この本『現実を視よ』を書くことは、一経営者しては正しい判断ではないかもしれない。だが、書かずにはいられない。
私はこの国に生まれ、この国を愛しているからである。かつてあの時代に、吉田松陰が覚えたであろう危機感を、いま私も強烈に感じている。1人でも多くの日本人に、その危機感が伝わってほしい。そして誇れる日本を取り戻すには何をすべきか、1人ひとりが考え抜いてほしい。
以下に列挙するのは、本書の中で述べてきたエッセンスも含んで構成した、私なりの「考え方」である。
※本稿は柳井正著『現実を視よ』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
起こっていることは、すべて正しい
失われた20年の「失敗の本質」。それはひとえに「現実を直視できない」ことにあった。その結果、いつの間にか、日本は世界の流れから取り残されていった。
先日、20年以上アメリカに住んで日本有数の会社を経営している人と、2人だけでゴルフをやった。彼が私に、最近になってようやく気がついた、とあることを教えてくれた。
それが、この言葉である。
Whatever is, is reasonable.
起こっていることは、すべて正しい
私はそのとおりだと思った。
自分にとって不都合なものであっても、目の前の事実を躊躇なく受け入れること。言葉を換えれば、「世間は正しい」とつねに思え、ということである。
もともと日本は職人気質の国。これはある意味で、日本人の伝統精神である。この伝統精神をフルに発揮して、戦後日本の製造業は高品質のモノをつくり、それなりの成功を収めてきた。
しかし、日本市場の口うるさい消費者を相手にしているうちに、高くても高機能なら売れる、という内向きの発想に凝り固まってしまった。その成功パターンを新興国市場に持ち込んでも、通用するはずがない。
もっと言えば、「いいモノ」とは何かを決めるのは、あくまで世間であって、自社のエンジニアやマーケターではない。
世界中どこでも、売り手よりそれを買う大衆のほうが、モノの良し悪しを見極めるたしかな目をもっている。世間や大衆をバカにして倣慢な気持ちでビジネスをしても、成功できるはずがない。とくに海外ではそう。顧客が日本と違う行動をとっても、それには必ず理由がある。
その国で多くの人がそうするのであれば、どんなに日本人の目には不可解に映っても、受け入れなければならない。文化とは、そういうものである。
自分たちより賢い大衆に頭を下げ、何が正しいか教えを請い、奉仕させてもらう。必要なのは、謙虚さである。