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[感情労働] 体より、気持ちが疲れていませんか?

岸本裕紀子(エッセイスト)

2013年07月24日 公開 2024年12月16日 更新

いま話題の「感情労働」。顧客に対してのみならず、職場の上司や部下に向けても発生する「感情労働」の問題は、多くの社会人の悩みのタネとなっている。本稿では、ミドルエイジが抱えがちな、感情労働の問題について紹介する。

※本稿は、岸本裕紀子著『感情労働シンドローム』(PHP新書)より、内容を一部を抜粋・編集したものです。

 

感情労働とは何か?

「感情労働」という概念が話題になりつつあります。

これまで労働は大きく、肉体労働と頭脳労働に分けられてきました。が、昨今、仕事をするなかで、その2つには該当しない精神的なものの比重が増しているのではないか、と考えられるようになっているのです。

感情労働とは、人を相手にしたシチュエーションで、職務上適切な感情を演出することが求められる仕事のことです。気持ちの管理・抑制にポイントを置いた精神的な労働です。

仕事をするなかで、苦痛を感じたり、怒りをかきたてられたり、虚しさにとらわれたり、違和感を覚えたり、不安感が頭から離れなかったりしても、そういった自分の感情をうまくコントロールして、感じよく接し、相手のプラスの感情を引き出すようにする、それが感情労働です。

身近な例としては、営業の仕事があります。

新規開拓のため連日、足を棒にして何十軒と個別訪問しても、1件も契約が取れない。そうしたなか、丁寧に説明している途中で、バタンとドアを閉められたとします。

「いくらなんでも失礼だろう」というショックや怒り、「はたしてこの商品は相手の役に立つのか」という疑問、「自分はいつまで不毛な戦いのようなこの仕事を続けるのだろう」という虚しさや不安。そういった感情を抑えて、前向きに、さわやかに次の訪問先に向かう...。

感情労働という概念は1970年代にアメリカで生まれ、客室乗務員の調査研究をまとめた社会学者、A・R・ホックシールドの『管理される心感情が商品になるとき』によって知られるようになりました。日本では主として、看護や介護の分野で研究が積み重ねられています。

客室乗務員は、身勝手な乗客に対してもつねに笑顔で仕事をこなさなければなりませんし、看護や介護といった仕事は、助けを必要とする人たちを相手にした、細かな気配りと優しさが不可欠な、感情労働が強く要求される仕事といえます。

感情労働は本来、「外の顧客を相手にした仕事」をする人を対象としています。

しかし、今や感情労働は、顧客と対面する職業という枠を超えて広がりを見せており、顧客を、職場内の上司や部下などに置き換えたとしても当てはまるのではないか。私の関心は、そこにありました。

仕事をするなかで、心のなかに生じるさまざまな感情をコントロールして、好感度が高い自分を維持しながら業務をこなすのが感情労働だとしたら、外のクレーマー顧客に対してより、会社内で嫌がらせをする同僚や、理解不能な部下や、パワハラを仕掛けてくる上司に対してのほうが、より神経をすり減らすし、消耗するのではないか。

今、職場では、従来からあった人間関係の悩みに加えて、パワハラや逆パワハラ、正規対非正規社員、成果主義、360度評価、世代間の仕事観の違いなどに関連した感情労働的軋轢が深刻な問題になっています。

怒り、落胆、戸惑い、不信感、違和感、いらだち、虚無感、気持ちのざわつき、孤立感、焦燥感、緊張、忍耐、無力感、不安感といった感情が、職場のいたるところで渦巻いているようです。

これらの感情にとらわれすぎて、本来の仕事がおろそかになったり、深い傷として残ったり、肉体的な疲労と重なってメンタル的な不調につながることもあります。

さらに感情労働は、教師や弁護士といった専門職にも新しい形で展開されています。かつて生徒から尊敬されていた学校の先生は、生徒から無視されたり、父兄からのクレームを受けたりして無力感にとらわれる。知識と戦術がすべてだった弁護士が、仕事を取ってくる営業力を要求され、動揺している。

いまや、感情労働に絡む問題は、誰にでも心当たりがある身近な問題として、社会のさまざまな場面に急浮上してきているといえそうです。

そういった広がりを含めて、私はこの現象を「感情労働シンドローム」と名づけ、今の日本を覆っている、その現象を読み解いてみたいと思っています。(「まえがき」より)

 (☆ここでは、第5章ミドルエイジと感情労働から一部をご紹介します)

 

理解不能な部下

ある広告代理店で、半年の研修を終えた男性新入社員に対し、人事部が配属先を告げたとたん、この社員は泣き出したといいます。「そこは、嫌です。そこだったら辞めます。だから替えてください」と言って譲らない。結局、ごね得のような形で、別の部署に配属されたそうです。

この会社では、ここ数年、配属先が気に入らなくて涙を流す新人が必ずいるというのです。普通は、泣くのが収まってちょっと落ち着いてから、決まっていた配属先に連れていくのですが、今年は、あまりに強烈な抵抗のため、仕方なく変更したということです。

「今どきの若者は何を考えているのか」といった、世代の違いから来る若者への不満はどの時代にもあったし、別に不思議なことではないのですが、今は、度を越して理解不能な若者が増えているといいます。

別の会社でも、やはり配属先をめぐり、女性新入社員が「その部署では、私のキャリア・デザインがくるってしまいます」と主張して、揉めたそうです。会社側は、「会社というのは、あなたのキャリアを完成させるための場所ではない」と突っぱねたそうですが。

部下に「これ、急ぎでやっておいてくれないか?今日中に頼む」と頼んだ書類が、翌日になっても上がってこない。上司がそのことについて問い詰めると、「その前に取り組んでいる仕事で手いっぱいなので、それを終えたらするつもりでした」としらっと弁解したという話もあります。

その社員に評価面談の際、「何より大事なのは、言われた仕事を期日までに仕上げることだ」と言うと、「入社式のとき社長が、わが社には、指示待ちではなく何事にも自主的に取り組む人材が必要だと言っていましたよね。自分はそのように仕事をしているつもりです」と言い返したそうです。

生意気、わがまま、マイペースといった次元の話を超えて、社会人としての常識が欠如している、あるいは、常識が上の世代とはズレているのではないかと思うといった話をよく聞きます。

加えて、新人の多くは転職が前提で、今の会社はステップだと考える傾向がありますから、上司の言うことに従うという意識も昔に比べれば希薄です。

かつては、仕事を終えた後、若い社員たちが一杯やりながら課長の悪口を酒の肴に盛り上がったものですが、今は悪口もあまり出ないといいます。悪口を言うのは、どうにかしてほしいという気持ちがあるからなのですが、若者たちは、課長になど関心がないのです。

理解不能な行動、常識の欠如、無反応、無関心という若者たちを前に、ミドルエイジの上司は困惑し、途方に暮れています。

しかも、課内をまとめ上げること、部下を適切に指導することが上司の評価にダイレクトにつながる成果主義の下、こんな若者たちのために自分の仕事人生がかき回されるのかと思うと、ため息をつきたくなるそうです。

職場における感情労働的疲労は、「思っていたようにならない」ことから発生します。

配属先、上司、仕事内容、評価、処遇、理解のされ方、かまわれ方などなどが思っていたのと違う。若者は若者で、そう思っています。

一方、ミドルエイジはミドルエイジで、若者の仕事へのモチベーションや取り組み方、会社や上司に対する接し方、もっと言えば若手社員という存在自体が思っていたのと違う、そう考え、悩んでいるのです。

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