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生き方

「吾唯知足」生きている限り足りている 僧侶に教わる“挫折に負けない”一つの方法

浅田宗一郎(僧侶、作家)

2025年07月23日 公開

「吾唯知足」生きている限り足りている 僧侶に教わる“挫折に負けない”一つの方法

たとえ苦しみに満ちた世界であっても、自らの内にある光を信じ続ける限り、闇に呑まれることはない――。そう語るのは、僧侶の浅田宗一郎さんです。恵まれたとは言えない環境で育ちながらも、「不幸だと思ったことは一度もない」と話してくれたその後ろにあるものとは。

※本稿は、月刊誌『PHP』2024年8月号より内容を抜粋・編集したものです

 

祖父の口癖は「なんとかなるから」

私は母子家庭で育ちました。母の父(私の祖父)は関西で小さな寺をまもっていました。私は、子供のころ、母の仕事の関係でよく祖父の寺にあずけられました。

祖父と母は、昭和20年までは樺太の寺で生活していました。それが、太平洋戦争終結後にソ連が侵攻してきたため、祖父たちは身一つで樺太を脱出して、出身地の関西に戻ってきました。

そこで、祖父は、小さな寺をまもることになったのですが、生活はとても厳しいものでした。

ただ、祖父と母は、戦争によって人生が暗転したことを、嘆いたり、恨んだりはしませんでした。祖父の口癖は「なんとかなるから」。祖父も母も、貧しくても、過去を振り返らず、自分を卑下せず、明るく前向きに生きていました。

祖父はよく、「宗一郎はお坊さんになればいいよ」と言いました。私がうなずくと、祖父は清らかな笑顔を見せてくれました。

私は、子供のころから衣を着ることに抵抗がありませんでした。そして、将来は僧籍をとって、祖父や母のように素直に生きていこうと考えていました。

年月が過ぎ、私は成人して祖父の寺を継ぎました。ただ、門徒(檀家)が少ないため、大きな寺を手伝いながら生計を立てました。

そうして歩みながら、あるとき、私は、もう一つ寺をまもる縁に恵まれました。今は、2つの寺を護持して、毎日、お参りしながら生活しています。

 

自分の光を信じる

幼いころからお経に接する中で、「一切皆苦(いっさいかいく)」「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光(しょうしきしょうこう おうしきおうこう しゃくしきしゃっこう びゃくしきびゃっこう)」という言葉が特に印象に残っていました。苦しみに満ちた世界でも、青い花は、黄色い花は、赤い花は、白い花は、そのままで光り輝くのです。

私は、人生は、喜びが「点」で、苦しみが「線」だと思っています。実際、喜びが長く続くことはなかなかありません。結局、私たちは、人生の大部分を悩み苦しんでいるのです。

私の生まれ育った環境はあまり恵まれていませんでした。客観的に見れば「挫折した存在」だったとも言えるでしょう。しかし、私は、自分を不幸だと思ったことが一度もありません。

なぜなら、「私」という存在は、どんなときも、たとえ逆境のときでも、そのままで光っていると信じていたからです。

日本社会は、1990年代から30年以上ものあいだ、がんばっても報われない状態が続いています。しかも、人口減少期に入り、さらに国力が落ちると言われています。

今、日本に住む多くの人は、夢や希望を持てずに苦しんでいます。何度もくじけて、闇に呑みこまれそうになっている方もいるでしょう。それでも、絶対に、自分の存在を否定しないでください。私たちは、どんなときも、そのままで光り輝いているのです。

自分自身の光を疑いなく信じて歩めば、人生が闇に吞みこまれることは決してありません。

 

「自然にできること」が必ずある

「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)という言葉があります。私の子供のころは、家にあまり物がありませんでした。ただ、私はそれを、「足りない」とは思いませんでした。私には、物がなくても、頭の中は自由で、可能性に満ちているように思えました。

そして、小学校の高学年のころから、一人で家にいるときは、いつも頭の中で物語を創っていました。私は、空想(創作)することが大好きでした。生きている限り足りているのだ、という発想は創作でも役に立ちました。

このように、私は、小学生のときには、衣を着ることと、物語を創ることに出合っていました。黒い衣は、私の肉体の一部のようなものです。「無から有」を創る物語は、私にとってかけがえのないものです。

私は、今、衣を着てお参りさせていただいていることに、時間があるときに創作ができることに、心から感謝しています。

人生にはいろいろな選択肢がありますが、現実的に、私たちが大人になってから進むことができる道は、せいぜい1つか2つです。そして、私が僧侶の道と物語の創作に出合えたように、その人に自然にできることもまた、1つか2つはあるのです。

優秀な人でも、大人になって選んだ道があまり好きなものでなければ、挫折することがあります。逆に、たとえば、私のように特別な能力がなくても、自分の存在を信じて、本当に好きな道を歩み続ければ、人生がほんの少し輝くこともあります。好きな道なら、くじけても、くじけても、立ち上がることができます。

私たちにとって大切なのは、どんなときも自分の光を信じることです。人間の苦しみは、相対的なもの。人と比べると、どうしてもつらくなってしまいます。人との比較を避け、自分にとって唯一無二の道を見つけることが、生きていくうえでとても重要だと思います。

光を信じ、前向きに歩んでいけば、喜びも、楽しみも、苦しみも、悲しみも受けとめて、必ず、恵まれた尊い命を輝かせ続けることができるでしょう。

 

【浅田宗一郎(あさだ・そういちろう)】

1964年、大阪府生まれ。『さるすべりランナーズ』(岩崎書店)で第34回児童文芸新人賞受賞。『お坊さんがくれた 涙があふれて止まらないお話』『涙のあとに、微笑みを』(以上、PHP研究所)など著書多数。

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