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生き方

優秀なのに部下を傷つける上司の正体 無意識の劣等感とは

田坂広志

2025年11月06日 公開

なぜ、人は成長し続けなければならないのか。人生において成功は約束されていない。けれども、誰もが必ず手にすることができるもの――それが「成長」だと、思想家・田坂広志さんは語ります。

成長には、「職業人としての成長」「人間としての成長」「人間集団としての成長」という三つの段階があるといいます。本稿では、田坂さんの著書『成長し続けるための77の言葉』より、「人間としての成長」における問題につながる"無意識のエゴ"について語られた一節を紹介します。

※本稿は、田坂広志著『成長し続けるための77の言葉』(PHP文庫)より内容を一部抜粋・編集したものです

 

なぜ、「自分の心」が見えることが、大切なのか

見えていると思って
実は、見えていないのが
「自分の心」

では、なぜ、そもそも、「自分の心」が見えるようになることが、大切なのか。

見えていると思って、実は、見えていないのが「自分の心」だからです。

昔から、人間の精神の成熟を語るとき、しばしば使われる言葉に、「自分が見えている」という言葉があります。

例えば、「彼は、まだ、自分が見えていないな。そこが問題だ」という言葉や、「あの人は、それなりに自分が見えているから、安心できる」という言葉です。

すなわち、我々は、精神が成長し、成熟するにつれ、自分が見えるようになるのです。

では、なぜ我々は、「自分の心」が見えないのか。

「自分の心」には、二つの世界があるからです。

「表面意識で自覚できる世界」と「表面意識だけでは自覚できない世界」。

その二つの世界があるからです。

 

なぜ、我々は「自分の心」が見えないのか

自分の心には
自覚できる「表面意識の世界」と
自覚できない「無意識の世界」がある

では、なぜ、我々は「自分の心」が見えないのか。

いま、「自分の心」には、「表面意識で自覚できる世界」と、「表面意識だけでは自覚できない世界」があると述べました。

これは、言葉を換えれば、「自分の心」には、自覚できる「表面意識の世界」と自覚できない「無意識の世界」があるということです。

例えば、ある会社で、A課長とB課長が次の部長の椅子を巡って、競っていたとします。

結局、次の人事発令で、B課長が部長に昇格する。A課長は出世競争に敗れたわけです。

ここで、誰かが、A課長に「残念でしたね」と言う。

その瞬間に、A課長が、険しい表情で、こう言ったとします。

「いや、俺は、出世には興味ないよ。そういうことは俗物の考えることだ」

これは、何が起こっているのか。

A課長は、自分の心の奥の「出世したい」という心を抑圧し、「自分は、そういうことには興味のない人間である」と思い込もうとしています。

しかし、表面意識では、そう思い込んでみても、実は、このA課長の深層意識の世界、すなわち、無意識の世界では、出世競争に敗れたことを悔しいと思っている。

これが、自覚できる「表面意識の世界」と、自覚できない「無意識の世界」の一例です。

 

なぜ、「無意識の世界」を知ることが重要なのか

無意識の世界に潜む「エゴ」が
様々な問題を引き起こす

では、なぜ、「無意識の世界」を知ることが重要なのか。

無意識の世界に潜む「エゴ」が、様々な問題を引き起こすからです。

例えば、先ほどのA課長とB部長のエピソードを続けてみましょう。

このB部長が、それからしばらくして、運悪く、ある取引先の不祥事に巻き込まれる。

傍目には、B部長の責任とも言えない案件であり、社内でもB部長に同情する声も多い。

しかし、一人A課長だけは、強硬な意見を吐き続ける。

「企業の不祥事に巻き込まれるなど以っての外。責任者は襟を正すべき」と主張し、誰もが反論できない正論を語り続ける。

しかし、このA課長は、自分の心の中の「エゴ」が喜んでいることを自覚していない。

出世競争に敗れた悔しさを根深く抱き、B部長の失策を、好機とばかり責めている。

しかし、もしこのA課長が、自分の無意識の世界の「エゴ」の動きを自覚するならば、彼のB部長に対する姿勢も、全く違ったものになるのでしょう。

そして、企業社会においては、こうした、我々の無意識の中に潜む「隠れたエゴ」が、人間関係において様々な問題を引き起こしている事例は、枚挙にいとまがないのです。

 

「無意識のエゴ」が引き起こす問題とは、何か

我々は、無意識のエゴで 
相手を「殺して」いることがある

では、「無意識のエゴ」が引き起こす問題とは、例えば、何か。

先ほどのA課長の例は、比較的分かりやすい例ですが、むしろ、分かりにくいのは、例えば、「ウェット・ブランケット」(濡れた毛布)と呼ばれる人物の例です。

これは、比較的高学歴で、周りから優秀と思われている人物に、しばしば見受けられる心の動きです。

仮に、C課長としましょう。

このC課長、若い社員が意欲的な企画を提案してくると、その明晰な頭脳を駆使して、企画の問題点を鋭く見つけ出し、この若手社員の企画を完膚なきまでに叩くのです。

その結果、燃え始めていた若手社員の意欲の火は、あたかも濡れた毛布を掛けるように、見事に消えていきます。これが、「ウェット・ブランケット」と呼ばれる人物です。

では、これは何が起こっているのか。

この人物は、実は、内心に「深い劣等感」を抱いているのです。

それゆえ、優秀な若手を見ると、その無意識の劣等感が刺激され、その劣等感に駆られたエゴが、その若手を「殺して」しまうのです。

そして、不思議なことに、この例は、高学歴で優秀と思われている人物に多いのです。

なぜなら、学歴社会の勝者と呼ばれる人々は、常に他者と比較され続ける競争の中で、しばしば、その内面に、深い劣等感を植え付けられているからです。

 

その「無意識の劣等感」の存在を知るには、どうすればよいか

自分が他人を
心の底から誉められるかどうかを
深く見つめる

では、もし、我々の心の奥に、「無意識の劣等感」や「無意識のエゴ」があるならば、その存在を知るには、どうすればよいか。

そのために有効な、一つの「リトマス試験紙」があります。

自分が他人を、心の底から誉められるかどうかを、深く見つめる。

その内省を行うことによって、自分の心の奥深くにある「無意識の劣等感」や「無意識のエゴ」の存在が、明瞭に見えてきます。

もとより、一定の年齢に達すると、我々は、世知として「人を誉める」ことを覚えます。

しかし、ここで深く見つめるべきは、言葉で人を誉めているときの、内心の動きです。

そのとき、我々の心の中には、しばしば、誰かを誉めると、相対的に、自分の価値が失われるように感じる心の動きがあります。

これが、我々の心の中の「無意識の劣等感」の現れです。

そして、ときに、誰かを誉めているとき、その心の奥に「素直に賞賛できない心」や、さらには、「その人物を嫉妬する心」があることに気がつきます。

これが、「無意識のエゴ」の動きに他なりません。

 

「無意識のエゴ」は、何をもたらすか

人間、本当の自信がないと
謙虚になれない

このように、我々は、自分の心の中に「無意識の劣等感」を抱いていると、他人を心の底から誉めることができません。

これは、「自分に劣等感があるから、優れた人を誉める」という常識的概念の「逆説」とも思えますが、人間心理の深層においては、この「逆説」こそが真実です。

例えば、世の中では、「自分に自信がないから、謙虚になる」と考えられていますが、これも、人間心理の深層においては、逆です。

人間、自分に本当の自信がないと、謙虚になれない。

例えば、優れた経営者が、若手社員の話も心を開いて謙虚に聴くことができるのは、この経営者が、自分自身に、静かな自信を持っているからです。

逆に、ある課長が、若手社員の話を謙虚に聴くことができないのは、自分自身に本当の自信がないため、若手社員の言葉に耳を傾けると、自分の劣等感が刺激されてしまうからです。

日本には「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」との格言がありますが、この言葉の真意は、「人間、自分に本当の自信が芽生えたとき、自然に謙虚になる」という意味なのです。

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