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他人の成功に焦る自分が嫌だった...漫画家がSNSの苦しさから抜け出せた理由

吉本ユータヌキ(漫画家)

2025年10月16日 公開

SNSを見ていると、他人の成功やライフステージの変化に心を揺さぶられる瞬間があります。漫画家・吉本ユータヌキさんも、他人をうらやましく思って焦ることがあるといいます。

吉本さん初のエッセイ集『漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間』では、そんなネガティブな気持ちと向き合い、公認心理師・中山さんとのコーチング通して身につけた考え方を綴っています。同書から、他人と比べて落ち込むことが減ったきっかけを描いた一節をご紹介します。

※本稿は、吉本ユータヌキ著『漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間』(集英社インターナショナル)より内容を一部抜粋・編集したものです

 

他人と比較するのやめたい

 

「欲」と向き合う

実は今でもSNSで、他人の描いた漫画と自分を比べてしまいます。

「絵が上手くていいな」「たくさん"いいね"もらっていいな」「よくこんなストーリー思いつくな」「それに比べて自分は...... 」と。日常茶飯事です。

でもそのたびに、「自分に集中する」を思い出しては、我に返って思うんです。「自分の絵、好きだしな」「描きたいもの描いてるから、"いいね"の数は気にしなくてもいっか(多いと嬉しいけど)」「この人の漫画、自分ならどう描くかな」って。

その上で、自分が求めてる「欲」と向き合うようにしています。

それを誰かと比べる中からみつけるんじゃなくて、今の自分と比べて「もっと良くしたい」みたいな感じで。すると、自然とどうしたらいいかが湧いてきたり、考えてみたり、調べてみようという方向に頭が向くようになりました。

それでもって、他人に対して羨ましく思ってたものが、自分が本来求めていたもの、目的にしていたものとは全く違ったものだったってことに気づけたりします。

なんで他人が羨ましく思えたり、自分と比べてしまったんだろう......と考えているうちに、思い出したことがありました。

小学5年の時に同じクラスにいた山村画伯の存在です。

画伯というのは、絵が上手すぎる山村くんに担任の先生がつけたあだ名で、たぶんクラスで唯一ぼくだけが呼んでなかった、はず。

ぼくは小学1年の時に、図工の時間に描いたキリンの絵で学年の代表として街の作品展に貼り出されたところから、絵を描くことに「得意なのかも」と思えるようになりました。

勉強やスポーツはそこそこだけど、絵だけは家族や親戚の集まりでもいつも褒めてもらえてたし、通知表でもいつも5段階の5で、休み時間になると友達が自由帳を持って、あれ描いてほしいとお願いしてきてくれるぐらい。ぼくにとってはそんな時間がすごく幸せで、嬉しかったんです。

そんなチヤホヤブームが去ったのが、5年になって山村くんと同じクラスになってからでした。今までぼくのところに自由帳を持って並んでた友達は、みんな山村くんのところに「画伯! 描いて! 」と行くようになったんです。

クラスだよりで挿絵を描く担当もクラスみんなの意見として山村くんが選ばれ、黒板に落書きする山村くんのまわりに人が集まる。それが悔しくて仕方なくて、ぼくは絶対負けたくないと思っていました。

でも、山村くんのお母さんはプロの漫画家で、商業誌で連載を持っているような人だったのもあり、山村くんもそれを近くで見ていたからか、抜群のセンスで勝てる気がしませんでした。

それに1番悔しいのが、山村くんの描く絵や字があまりにもぼく好みだったことでした。

だから、負けたくないと思いつつも、自分も山村くんの描く絵や字が書けるようになりたいと思って、こっそり意識してマネをするようになりました。今でもぼくの字はよく「可愛い字書きますね」って言ってもらえるぐらいの丸文字なんですけど、それも山村くんの影響です。

 

「負けたくない」から「好き」に変わった瞬間

その頃に、ふと気づいたんです。

ぼくは山村くんの絵や字をマネしながらも、「負けたくない」と悔しい気持ちがある。なのに山村くんはぼくのことを気にしてもない(気がする)。もしかして、相手にもされてないのかも。

そう思った瞬間から、ぼくは山村くんのことが嫌いになりました。

それからは自分から山村くんの近くに行くことをやめて、山村くんとは違うことをして注目されようと思って、ぼくは当時、登場してまもない頃のポケモン151匹を自由帳に模写していくことにしました。

休み時間、家に帰ってから、朝早く起きて、必死に描いて半月ぐらいで描き終えた頃には、ぼくの自由帳を見たいと別のクラスからも同級生が集まってくるようになっていました。

でも、ぼくは納得できなかったんです。だって、山村くんは一度も見に来てくれないから。

さすがにこれだけしたら「すごいね」って言わせられると思ってたのに。

あまりにも悔しくて、ぼくは次にポケモンの二次創作漫画を描くことにしました。

当時読んでいた『コロコロコミック』の漫画を参考にしながら、見様見真似で描いたんです。すると、前よりも同級生が集まってくるようになって、さらにはぼくの自由帳がレンタルされていくようにもなりました。人から人を伝って、誰が持ってるのかわからなくなった時もあるぐらい注目を集めたんですけど、それでも山村くんが見にくることはなくて、1人黙々と絵を描いてるんです。

その姿をみて、ぼくは「勝てないんだな」と思って、自分から自由帳を持っていって読んでもらうことにしました。

すると「よっしー(当時のあだ名)、これ1人で描いたん! おれもマネしていい!? 」って、欲しかった言葉があっさり出てきたんです。ぼくは嬉しくて、その日以降、毎日のように山村くんと一緒に絵を描くようになりました。

今思うと、山村くんは本当に絵を描くことが好きで、熱中して描いてただけだったんです。他人と比べることなく。

そんな山村くんに、ぼくは勝手に対抗心を燃やして、嫌いになっただけで、なんとも情けない話だなと思う半面、こんな時期があったから、卒業文集には「将来漫画家になる! 」と書いたんだと思います。

自分の描きたいことに集中してる人はかっこいい。

山村くんを思い出して、SNSで活躍していく人たちを見ても、ブレない心を持っていたいなと思いました。

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