第78回日本推理作家協会賞の授賞式が11月4日、東京・東池袋の劇場「あうるすぽっと」で開催されました。 翻訳部門の受賞作は、スティーヴン・キング著、白石朗訳『ビリー・サマーズ』(文藝春秋)。 今年から本格始動した新設の翻訳部門での記念すべき第1回目の受賞となり、会場は大きな拍手に包まれました。
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本格的に始動した「二銭銅貨賞」
翻訳部門の選考経過報告を担当した阿津川辰海さんは、まず賞の成り立ちに触れました。
「翻訳部門は2023年・2024年に試行という形で選考を行い、今年から本格的に始動しました。賞の正式名称は「二銭銅貨賞」。江戸川乱歩の短編『二銭銅貨』に由来するもので、英語名では"Double Copper Award"となっています」と説明しました。
阿津川さんは、選考について「どの候補作も素晴らしく、"どれが受賞してもおかしくない"という空気がありました」と振り返りました。「議論は活発でしたが、どこか和やかな雰囲気だった」と語り、他の候補作の魅力にも触れました。
『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(ベンジャミン・スティーヴンソン/富永和子訳) 「オーストラリアの本格ミステリー。伏線の回収が見事でした」
『両京十五日』(馬伯庸/齊藤 正高・泊 功訳)「中国からの歴史小説×冒険小説の超大作。上下巻にわたる長編ながら、派手な展開の数々に選考委員一同盛り上がりました」
『ヴァイパーズ・ドリーム』(ジェイク・ラマー/加賀山卓朗訳)「1930~60年代のニューヨークを舞台に、ジャズを題材としたノワール。今回の候補作の中では最も短い作品でしたが、密度の高い展開が印象的でした」
『失墜の王国』(ジョー・ネスボ/鈴木恵訳)「北欧ノワールの第一人者による厚みのある作品。主人公の運命が"同心円状に破滅へ向かう美しさ"を感じさせ、魅了された」と評しました。
選考委員の胸を打った「エモーショナルさ」
阿津川辰海さん
阿津川さんは、「スティーヴン・キングというと、モダンホラーの印象を持つ方が多いと思いますが、『ビリー・サマーズ』には超自然的な要素は一切ありません。むしろ犯罪小説として非常に精緻に作られている」と説明しました。
「5作はいずれもタイプの違う作品で、比較が難しかったのですが、共通して話題になったのは"犯人にとって都合の良いところはないか"という点。その中で『ビリー・サマーズ』は、そうした弱点を感じてもなお補って余りある技巧が凝らされていた」と分析しました。
「冒頭の作中作の趣向が、終盤で見事に回収され、技巧的でありながら非常にエモーショナルに響く。最終的に選考委員全員の心を打ったのは、この感情の力だったと思います」と述べ、満場一致の受賞を明かしました。
翻訳者は、スティーヴン・キングの最も熱心な愛読者
阿津川さんは選考委員としての個人的な印象も語りました。
「以前、白石朗さんと斜線堂有紀さんと3人でキング作品について鼎談したことがあります。その際、白石さんはどんなキングの短編のどんな細かいエピソードも克明に、圧倒されるほどの熱量で語られました」と振り返りました。
「私自身、キングを初めて読んだのは『アンダー・ザ・ドーム』でした。それも白石さんの翻訳で、そこからずっとキングに親しんできました。翻訳者というのは、何よりもその著者の一番の愛読者なんだと実感しました」と語りました。
最後に、「今年は日本の作家・王谷晶さんが『ババヤガの夜』で英国推理作家協会賞(ダガー賞)を受賞した年でもあります。その記念すべき年に、日本推理作家協会の翻訳部門も本格始動を迎えたことを、準備に携わった一人として心からうれしく思います。国際的な交流の橋渡しになることを願っています」と結びました。
「翻訳の苦しみが、逆に楽しい作品だった」
左から、白石朗さん、貫井徳郎さん、高橋夏樹さん
続いて登壇した白石朗さんは、「この歴史ある賞で、正式な翻訳部門として初めて受賞できたことを大変光栄に思います」と喜びを語りました。
スティーヴン・キングの作家活動を振り返りながら、「今年、キングは78歳になりますが、ほぼ毎年のように長大な作品を書き続け、作家生活50年を超えても精力的に作品を発表しています。これまで世界中の読者を震え上がらせ、怖がらせ、手に汗握らせ、ときには少し泣かせるような物語を半世紀にわたり送り出してきました。
かつてはミステリー三部作の第一作『ミスター・メルセデス』でエドガー賞を受賞するなど、ミステリーの領域でも大きな業績を残してきた作家です。多くの方はモダンホラーの印象をお持ちだと思いますが、それ以外のジャンルでも一流の腕前を発揮しています。
『ビリー・サマーズ』は、キングがいわゆるクライムノベルに果敢に挑んだ作品です。戦争帰りのスナイパーが作家として潜伏する設定ですが、やがて暗殺者である彼が書いている物語と、現実が絶妙に絡み合っていきます。予想外の展開が連続し、飽きさせません。
暗殺者最後の仕事という定番のテーマでありながら、作家生活50年を迎えたキングのおそらく本音であろう、"人が生きていくうえでフィクションがどれほど大事か"、"フィクションを書くということにどんな魔法や奇跡が潜んでいるのか"を、感動的に訴えかける高みへと到達します。最初は暗殺者の話だと思っていたのに、気づけば心を大きく揺さぶられている。不思議な小説だと思います」と振り返りました。
「翻訳しながら、キングの作品の流れに乗せられている快感がありました。英語を日本語に移すのは苦しい作業ですが、逆にその苦しみが楽しい作品でもありました。翻訳に携われて良かったなと思います」と語りました。
白石さんはスピーチの最後に、自身の原点を明かしました。
「私がキングを初めて読んだのは1978年、大学1年のときでした。読書サークルの先輩が、深町眞理子さん訳の『シャイニング』を貸してくれて、徹夜で読み切りました。あの経験がなければ、僕はいまこの場所に立っていなかったかもしれません。その先輩は、後に書評家として活躍し、今年亡くなられた香山二三郎さんでした。この場を借りて、深く感謝を捧げたいと思います」と語り、会場は温かな拍手に包まれました。
スティーヴン・キングさんからのメッセージ
授賞式では、スティーヴン・キングさん本人からのメッセージが、文藝春秋の担当編集者・高橋夏樹さんによって代読されました。
「日本推理作家協会賞をいただけたことをとても嬉しく思います。『ビリー・サマーズ』は私にとってお気に入りの作品の一つです。選考委員の皆さん、そして素晴らしい翻訳者に心より感謝します。私は日本語を読めませんが、このような栄誉ある賞をいただけたことが、翻訳の素晴らしさを物語っています」――スティーヴン・キング