日々の生活に疲れている人にこそ知ってほしい 心が整う“手を動かす習慣”の効果
2026年02月04日 公開
SNSなどで簡単にさまざまな情報を得られる現代において、知らぬ間に心が疲弊していると感じたことはありませんか?そんな日常の中で、手を動かし、素材に触れることで幸福感を得られると、陶芸家のSHOWKOさんはいいます。本稿では、SHOWKOさんが手を動かすことに感じた魅力について紹介します。
※本稿は、SHOWKO著『クラフトフルネス』(クロスメディア・パブリッシング)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
手を動かし、心を満たす「クラフトフルネス」
これまで私はご縁あった全国にいる友禅職人、織り手、漆職人、木工家、ガラス作家、提灯職人、などなど、数えきれないくらいの業種の職人さんやアーティストと出会い、さまざまな素材を使って一緒にもの作りをしてきました。作る人は、手を動かすことを通して、さまざまな経験を体得しています。
たとえば、「なんか違うな」「ちょっと絵の具が濃いな」「これ以上削ると割れてしまうな」などという感覚は、数値では測れないものでもあります。しかし、これは、卓越した職人だけが持つ能力ではありません。
たとえば、料理の途中の「もう少し塩をたしたほうがいいな」と思ったことや、火力の調整をしたことは、日常でも経験があるのではないでしょうか。手を動かすことでまた養われていく、その細やかな良し悪しを判断する感覚。それが、自分だけの「ものさし」になっていきます。
もの作りは、正解のない世界です。つまり自分で良し悪しを判断していく仕事です。合理性や効率性だけを考えた、論理的な正解ではなく五感を使って決める作業です。そしてそれは「ふと思うこと」、その直感も含めた勘なのかもしれません。
「何だかわからないけれど、こっちな気がする」という野生的な勘。人はきっと自分の正解をすでに知っているのです。それを思い出す行為がきっと「手を動かす」ということなのだと思います。
「クラフト(craft)」という言葉を聞くと、陶芸や木工などの「手仕事」を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、その語源である古英語 cræft は、「力」「知恵」「技術」を意味します。英語圏では、craftは陶芸や木工だけでなく、料理、文章、さらには船や飛行機の操縦にも使われます。とても幅広いですよね。そこに共通するのは「人の手と感覚が生み出す精度と個性」です。
そこで、この本では「クラフトフルネス」という言葉を提案します。クラフト+フルネス=手を動かし、心を満たす習慣です。
上手に作る必要も、完成品を誰かに評価される必要もありません。大切なのは、結果ではなく、「過程に集中する時間」です。小さな手の動きに集中することで、意識は未来や過去から解放され、感覚が今に戻ってきます。
クラフトフルネスは、私が作った用語ではなく、アメリカやヨーロッパでも一種のトレンドとしてもブームになりつつあります。ニューヨークやロンドンでは、陶芸や木工のワークショップが予約でいっぱいになる現象があります。
参加しているのは、IT企業の社員や金融業界のプロフェッショナルとのこと。日々デジタルで戦う人ほど、泥や木、絵の具といったアナログな素材に触れる時間を求めているようです。他にもレコードやフィルムカメラの復活。アナログの持つノイズや揺らぎに、何だか安らぐ気がします。
世間でも、デザイン思考や、アート思考などのワードが、ここ10年で多く見られるようになってきました。左脳ロジカル寄りの発想法から、右脳感性寄りの発想法が求められているからです。そして、世界的企業や大学機関での研修も増えてきています。
私は長年仕事としてクラフトに関わる仕事をしていることから、より実践的な方法を紹介できると考えています。産業革命以降、AIの台頭など、さらなる発展をとげ目まぐるしく変わるこの時代において、人間が本能的に「手触り」と「アナログ」を取り戻そうとしているのは、あらためて、自分自身とつながり「生きている」ことを実感したいからなのかもしれません。
もう、自分じゃないものにならなくていいのです。それを思い出すために、1週間に一度でも、手を動かし集中することを習慣にしてみませんか?
「もの作り」は自己肯定感につながる
スマホやパソコンを使っていると、ふと気づきませんか?
いつの間にか画面には、自分が興味を持ちそうな広告や記事ばかりが並んでいる。検索履歴や閲覧履歴、年齢や住んでいる地域までもが読み取られ、30代なら子育てや婚活、40代なら美容や教育、50代なら健康や介護といったテーマが、まるで心の中を覗かれたかのように表示されます。
それだけでなく、SNSもアルゴリズムによって、興味のありそうな情報で自分のページが埋められます。スマホという情報を得る小さなマシンを使って、グローバルに世界とつながる未来だったはずなのに、実は手のひらの画面の小さな世界に閉じ込められているのが、今の社会なのかもしれません。
確かに、これはとても便利です。読みたい本を検索すれば、似たジャンルの本を次々とおすすめしてくれるし、効率的に必要な情報にたどり着けます。しかし、新しい世界が開いていくことは、きっとその中にはありません。もっと偶然の予期せぬ出会いのなかにあります。
リアルな本屋さんで偶然タイトルに惹かれ、立ち読みして、思いがけず買って帰る......そんな体験が最近ありましたか?
あてもなく街を歩き、気になる店にふらっと入って出会う雑貨や人との会話。それは予定では得られない、小さな宝物のような瞬間です。合理性を追求し続けた今の社会から、偶然性による出会いはどんどん消えてしまっていることなのかもしれません。
寝る前まで情報にさらされ、SNSを見ていると、つい焦る様な気持ちになります。まわりがすごい人のように思え、自分だけが成長していない気がする。「新しい自分にならなきゃ」「変化しなきゃ」という気持ちになって、何だか世界から煽られてしまい、このままの自分ではいけないのかも、と今の自分を否定してしまう気持ちが膨らみます。
心を休ませようとしてもなかなか休まらない。そんなことはないでしょうか。もの作りや体を使った時間は、その逆をくれます。自分の手で何かを仕上げた体験は、結果の大小に関係なく、確かな達成感をくれます。
作ったものはそのまま形に残ることもあれば、料理のように一度きりで消えることもあります。それでも、手を動かして形を生み出したという事実が、日々の中で見えにくくなっていた「できた」という感覚を呼び覚まし、それが積み重なって自己肯定感を静かに底上げしてくれるのです。
一度手を動かして形を生み出すと、もっとこうしてみたいと自然に好奇心が湧きます。調べたり、人に聞いたりしながら世界が広がっていく。その過程こそが、自分を肯定し、心を温める時間です。
画面の向こうの誰かと比べるのではなく、目の前の素材と向き合い、自分の手で作り、自分の感覚で確かめる。その扉を開いた先に、どのような世界が待っているのでしょうか?その営みの中にこそ、真の豊かさが眠っているのです。