昨年上梓した『考察する若者たち』が話題を呼んでいる文芸評論家の三宅香帆さん。三宅さんは昨年、共著で『実はおもしろい古典のはなし』も出版されており、共著のお相手は、都市ジャーナリストで、中学・高校の国語科教員でもある谷頭(たにがしら)和希さんです。
『考察する若者たち』に感銘を受けた谷頭さんがnoteに感想を綴ったことをきっかけに、紀伊國屋書店・新宿本店で二人のトークイベントが開催されました。なぜ若者たちは「正解」を求めるのか。共通一次試験の導入は社会に何をもたらしたかーー。Podcast等で共演する機会が多く、「おなじみの間柄」と語る二人の対談の様子をお伝えします。
取材・構成:PHPオンライン編集部(次重浩子)
中学生ぐらいだと、コンテンツという概念さえもうないのでは
谷頭和希さん
【三宅】皆様、本日はお集まりいただき、ありがとうございます。文芸評論家の三宅香帆と申します。よろしくお願いします。
【谷頭】谷頭和希と申します。『ニセコ化するニッポン』という都市論や、三宅さんと『実はおもしろい古典のはなし』という本も共著で出版しています。
今日は三宅さんが、開演2分前に会場入りしたっていう話から始めたいと思っていて...。
【三宅】我々、いま「こんな本、どうですか?」っていうPodcastをやっているんですよ。だから谷頭さんがお相手なら、打ち合わせ0秒でいいだろう、みたいな。
【谷頭】え、それすごいね。ナメてるってこと?
【三宅】そんなことない!信頼!信頼してるってこと!(笑)ちなみに、集合時間に遅れた理由はお仕事ですからね。
そんなわけで、おなじみの我々なんですけれども、私が昨年『考察する若者たち』という本を出しまして、それを読んで谷頭さんが、noteで感想を書いてくださったんですよ。これが素晴らしくて、「これ、もうちょっと掘り下げたいから、どっかで喋ろう」って言ってたら、今回のトークイベントが急きょ実現したというわけです。
谷頭さんは、実は国語教師でもあるんですよね。
【谷頭】そうですね。僕、本も出してるんですが、中学・高校で週5フルタイム勤務の国語教員だったこともあるんです。だから、今の十代が実際にどうなのかというお話はできるかなと思います。ちなみに大学院は教育学研究科で、国語教育史を研究していました。
【三宅】本書きながら週5フルタイムとか、ちょっと意味わかんないです(笑)
都市ジャーナリストとか、チェーンストア研究家とか言ってるけど、実は国語教育がご専門なんですよね。今の中高生って何が流行ってるんですか。
【谷頭】何でしょうね。YouTube何見てる?って聞くと、返ってくる返答が「ショート動画」だから。YouTubeですら、時代が変わったなって感じだったのに、もはやその時代でもないと。我々とはマジで見ているものが違う。
【三宅】そうなんですね。私、『考察する若者たち』を出版したとき、めっちゃ言われたんですよ。「三宅さんだって若者なのでは?」って。何老害ポジに収まろうとしてるんだお前は、と。
でも10代中盤と、我々のような30歳前後では全然違いますよね。
【谷頭】違いますね。コンテンツが違うというか、中学生ぐらいだとコンテンツという概念さえ、もうないと思うんですよね、いろんな動画が流れてくるから。そこに出ている人が実在しているのか、架空のキャラクターなのかさえよくわからない。
【三宅】AIが作ってたりするしね。『考察する若者たち』を書いているとき、ある会社の新入社員の方に、「どんな考察系YouTuberが好きなんですか」って質問したんだけど、全然固有名詞が返ってこなかったんですよ。なぜなら、おすすめとして流れてきたものを見ているから。固有名詞が解体されてるんや、と思ったんです。
近代化が令和において完成した
【三宅】今回、谷頭さんと対談するテーマの『考察する若者たち』の内容を簡単に紹介しますと、今「考察」というのが流行っていて、それは「報われ感」を求めているんじゃないか、ということを書かせていただきました。
令和以前に流行していたのは「批評」です。「批評」では、作者はどうであれ、こういう見方や分析の仕方があるよねと言っていたのに対し、「考察」は、小説やドラマなどを見て、そこに作者が仕掛けた謎を解こうとする=正解を見つけ出すことで、「報われるゴール」を求めてしまう。そんな時代なのではないかと。
それを読まれて、考察ブームというのは、実は学校と社会の問題でもあるという見解を谷頭さんは持たれたんですよね。
【谷頭】そうです。『考察する若者たち』を読んだ時にまず思ったのは、これ、国語の試験の話では?ということです。
国語の試験って何を問うているかというと、「作者がどういう意図でこの作品を書いたのかを、教員がどう読み取ったかを当てるゲーム」みたいなところがあって、授業では「自由に読みましょう」と言いながらも、結局、試験問題になった時には「正解」が求められる。
学校の国語って、「正解到達主義」という考え方が昔からあって、『考察する若者たち』に書かれているような、正解を欲しがる若者たちって、新しいようでいて、実は学校現場においてはずっと昔からある問題だよなと。
教育研究者や教員には、もうそういう授業はやめたいよね、と言っている人もいる。でも生徒からすると、やっぱり正解があったほうが安心するっていうのもあって。
【三宅】なるほど、生徒側が求めていると。
谷頭さん、学校だけでなく、社会全体もその影響を受けているのでは、って書かれていましたよね。社会が「学校化」していると。
【谷頭】はい。これもすごく問題になっている話で、結局どういう人が「優等生」と呼ばれるのかというと、大学入学共通テストでいえば、4つの選択肢の中から「正解」を選べる人ですよね。だから社会に出ても、言われたことに疑問を抱くとか、抵抗するということがなく、むしろ上司の求めている「正解」は何かを聞こうとする。社会が「学校化」しているということなのではないかと。
【三宅】なるほど、おもしろい。でも翻ってみれば、正解を出してくれる人材を、なんだかんだいって社会も求めているから、学校もそういう教育方針にしましょうってなっているわけですよね。
【谷頭】だと思いますね。よく言われるのが、そういうふうに子どもが正解ばかりを求めるような教育は良くないよね、と言われ出したのって1980年代ぐらいからなんです。この頃、何があったかっていうと、1979年に、国公立大学の第一次入学試験として共通一次試験が導入されたんですよ。
その理由として考えられるのが、おそらく大学に進学する人が爆増したんです。1960年代に集団就職で農村から都市部に人がたくさんやってきて、その子どもたちが大学に行くようになった。だから、事務処理の関係で、全国一律の問題を用意する必要があったんだと思います。
そういう意味では、共通一次の導入は、近代国家を作る過程で必要なことだったし、大量の人間を同じような正解に導かせて、近代化させるという国家の方針が、令和において完成したんじゃないかと思ったんです。
【三宅】確かに。それがある意味行き着くとこまで行き着いたのがMBTI(性格診断)なのかなという気もしますね。自ら性格をそこに当てはめちゃったほうが楽じゃね?みたいな感じで。管理しやすいし、人間を適材適所に配置するみたいなこともやりやすい。人事の考え方って、軍隊から来ているみたいな言い方する時もありますもんね。近代国家か...。
【谷頭】そうそう。1人の教員が40人とか、下手すると100人ぐらいの生徒を教える集団授業の仕組みって、イギリス発祥なんですよ。産業革命が起こったときに、機械の使い方を一律全員に教えないといけないから。あとは軍隊。
だから、『考察する若者たち』に書かれていることって、学校とか近代国家の成立みたいなことを巡る話の流れの上で読むと、すごくパースペクティブ(視座)が広いんです。
【三宅】 なるほど。おもしろい。近代国家だ...!