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宮部みゆき・浪人の恋と家族の難しさを描いた話題作『桜ほうさら』を語る

宮部みゆき(作家),末國善己〔聞き手〕

2013年12月31日 公開 2022年12月21日 更新

『文蔵』2012.3Vol.89 より》

   

『桜ほうさら』は、いちご大福のように、甘酸っぱい小説です。

今回上梓する『桜ほうさら』の舞台は江戸深川。主人公は、御家騒動に巻き込まれ、切腹した父の汚名をそそぐべく、江戸へ出てきた古橋笙之介(ふるはししょうのすけ)。
深川の富勘長屋で暮らしながら、父が切腹する原因となった偽文書作りをした人物を捜す笙之介の周りで、ミステリアスな事件が次々に起きる。
『孤宿の人』以来の武家もので、家族のぬくもりと、血が繋がっているゆえの難しさを描いた宮部さんに、この作品にこめた熱い思いをうかがった。

 

恋愛ものを書きたくて

――「桜ほうさら」は珍しい言葉ですが、どんな意味なのでしょうか。

宮部 もともとは山梨県の一部で使われている「ささらほうさら」という言葉で、「色々あって大変だね」という意味です。母に聞いた言葉ですが、綺麗なので印象に残っていました。5年ほど前に山本一力さんと対談して、お互いに桜を題材にした小説を書こうということになったのですが、真っ先に「桜」と「ささら」を掛けた『桜ほうさら』という言葉が思い浮かんだんです。

――この作品は、『孤宿の人』以来の武家ものですね。

宮部 少しはお武家さんの話を書かなければと思っていましたし、寺子屋の師匠をしている若い浪人を主人公にした「討債鬼」(『ばんば憑き』所収)を書いて楽しかったのも大きかったです。今回も長屋ものですが、そこで暮らす浪人を主人公にすると、食べていく苦労も町人とは違う角度から描けると考えました。

――笙之介は事件を追ううちに、謎の美少女・和香に想いを寄せていきます。宮部さんの作品で、恋愛が描かれれるのも珍しいように思えますが。

宮部 最近は恋愛ものも書こうと考えるようになりました。切っ掛けになったのが、現代小説の『小暮写眞館』です。江戸に出てきた浪人が恋に落ちる話だったら私にも書けるのではないかと。初めて2人が出会う場面では、まだ笙之介は和香の秘密を知りません。初対面のときめきを最後まできちんと表現することが、この作品のキモになると思って書いていました。

ゆるやかな連作の面白さ

――第1話「富勘長屋」は笙之介一家が巻き込まれた搗根藩のお家騒動を描く事件編ですが、東北から出てきた長堀金吾郎を助ける暗号解読ものの第2話「三八野愛郷録」と誘拐事件を扱った第3話「拐かし」は独立した物語で、第4話「桜ほうさら」はお家騒動に決着が付く解決編になっています。
〈ぼんくら〉シリーズも構成に凝っていましたが……

宮部 独立した短編集や短編集だけど連作になっている話も作りたいのですが、長編ではないけれど、全体にゆるやかに繋がっている連作集が好きなんです。今回も連載の段階では1話ずつに分けていなかったのですが、終わってみたら2話と3話がきれいに独立していたので、単行本では分けることにしました。

ミステリー作家としての私は、すべてのエピソードがメインの謎にからんでいく緻密な構成がよいと思うのですが、最近は主人公が様々な事件に直面することで経験値を上げたり、出会った人が別件で話していたことがメインの事件の参考になったりする方が、実人生に近いのではないかと考えるようになりました。そうしたのんびりした感じが、今は好きなんです。

――メインの事件が文書偽造のプロを捜す話で、2話目が暗号解読、3話目が脅迫状の文章から誘拐犯を推理する物語と、全体が“書く”ことをテーマにしているように思えました。

宮部 「文は人なり」とはよくいったもので、小説家がどんな作り話を書いても、必ず作者の顔が出てきます。それと同じで、手筋も人を現すのではないでしょうか。文書鑑定の専門書を読むと、筆跡から書き手の心理状態が端的に見て取れるそうです。すると本当の偽造のプロは、自分の心のない人ではないかと考え、それを使ってみました。

――笙之介は貸本屋の村田屋治兵衛から代書の仕事を請け負っていますが、押込御免郎なる男の書いた戯作の修正も頼まれ苦労します。この展開も含め、“書く”ことをテーマにしたのは、宮部さんの作家としての決意とも重なるように思えたのですが。

宮部 私は笙之介ほど素直ではありませんが、笙之介が四苦八苦するところは、分かる分かると思って書いていました(笑)。笙之介と治兵衛は作家と編集者そのものなんですが、実は作家と編集者の関係をストレートに書いたのは、今回が初めてなんです。

家族の難しさを実感して

――物語の背景には、長屋で暮らす貧しい人々がいる一方で、金に困らない豪商や私腹を肥やす武家がいるという構図が置かれています。これは現代の格差とも重なるように思えました。

宮部 特にリーマンショック以降は、格差問題を意識するようになりました。亡くなった杉浦日向子さんから「江戸時代は現代の感覚ではとらえきれないほど貧富の差が大きかったことを忘れてはいけない」とうかがっていたので、『ぼんくら』を書いていた頃から、身分や貧富の差は意識していました。

『孤宿の人』を書く時に、地方の藩を調べていて、大都市と地方、地方の中でも都市部と農村では大変な格差があると改めて気付きました。二重三重に格差があるのです。今回は江戸庶民と豪商の格差だけでなく、長堀金吾郎に代表される地方の苦しさも描きたいと思っていました。

――事件を通して、社会と人間の暗部を見た笙之介が、ラストに下した結論も印象に残りました。

宮部 今回は、笙之介に追い詰められた犯人が、改心するどころか、笙之介を面罵する場面を書きました。それは盗人猛々しいことなのですが、実社会の厳しさや、汚さを表現するには絶対に必要だと思っていました。

ラストシーンが印象深かったとしたら、笙之介が汚い現実を見ても絶望せず、それを乗り越えたからではないでしょうか。

――笙之介は切腹した父を尊敬していましたが、母親、兄とは確執がありました。同じように和香と母親も、少し問題を抱えています。親子関係を描きながらも、家族愛を前面に押し出さなかったのはなぜなのでしょうか。

宮部 家族の問題を意識するようになったのは、絆を見直そうという気運が高まった東日本大震災後です。家族が大切なのはよく分かりますが、家族は万能薬ではありません。笙之介が家族のトラブルで辛い経験をしたように、血が繋がっているからこそ、しがらみが生まれ、離れられないままお互いに不幸になっていく場合もある。

ニュースを見るだけで、その現実を嫌というほど突き付けられています。だから、たとえば親を愛せず、親から愛されないとしても、それだけで人として大切なものを失っているわけではない、家族だけが世界の全てではない、と言いたかったんです。

――それは、長屋ものを書き続けていることと関係があるのでしょうか。

宮部 江戸ものが楽しいのは、他人なのに家族のような関係の長屋の住人たちの姿を書けるところです。最近は、シェアハウスを舞台にした現代小説も増えていますが、これらも、家族の意味を問い直そうとしているのかもしれませんね。

 

宮部みゆき(みやべ・みゆき)

1960年(昭和35年)、東京生まれ。1987年、「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。1992年、『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞、93年、『火車』で山本周五郎賞、97年、『蒲生邸事件』で日本SF大賞、99年、『理由』で直木賞、2007年、『名もなき毒』で吉川英治文学賞を受賞。 著書は、時代ものに『初ものがたり』『あかんべえ』『孤宿の人』『ばんば憑き』、「ぼんくら」「三島屋変調百物語」の両シリーズ、現代ものに『模倣犯』『小暮写眞館』『ソロモンの偽証』などがある。

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