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禅が教える人生の答え ―目標はぼんやりと

枡野俊明(建功寺住職/庭園デザイナー)

2013年03月14日 公開 2024年12月16日 更新

※本稿は枡野俊明著『禅が教える人生の答え』より一部抜粋・編集したものです。

 

人生の答えは、けっしてひとつではない

人生とは何なのだろう。自分の歩むべき道はどこにあるのだろう。はたまた、これまで自分が歩んできた人生はこれでよかったのだろうか。行く道を按じ、来た道を振り返る。誰もがそんな思いを抱えながら生きているのではないでしょうか。

「わが人生の答え」。そんなものを追い求めながら生きている。それは必ずどこかに落ちているはずだ。どうにかして、それを手に入れたい。いや、もしかしたら、すでに手に入れているのかもしれない。あるいは、落ちていた答えに気がつかなかったのかもしれない。

時に一粒の答えらしきものを見つけて歓喜の声を上げたり、時に何もない絶望感に苛まれたり。喜びと苦しみを交互に味わいながら生きている。人間とはそういうものかもしれません。

「わが人生の答えはこれだ」と言いきる人たちもいます。「人生の答えが晩年になってさえ分からない」と嘆く人たちもいます。あるいはせっかく見つけた「答えらしきもの」に、みごとに裏切られる人もいるでしょう。

では、その中で、どの人の人生が善きものなのか。その答えは、「どの人の人生も素晴らしきものである」ということだと私は思っています。

20代の時には、一生懸命に輝かしき答えを追いかければいい。30代、40代の時には、「これこそがわが人生の答えだ」と自信をもって進めばいい。たとえそれが根拠のない自信であっても、自分が歩く道を信じることです。

そして50代、60代を過ぎてくれば、それまでの「答え」に執着することなく、新たな人生を見つめ直していけばいい。静かに自分が歩んできた道を内省しながら、「本来の自分自身」にたどり着く道を見つけることです。

「人生の答え」は、けっしてひとつではない。それぞれの人たちに、それぞれの答えがある。ひとつの人生の中にさえ、星の数ほどの答えが隠されている。

そして、その1つひとつの星は、どれもがキラキラと輝いているわけではありません。たとえ今、輝きを放っていたとしても、いつかはその輝きがくすんでくる。今は暗闇に隠れている星でも、未来に輝きを放つこともある。

もしも「人生の答え」なるものがあるとすれば、それは人生を歩く中でどんどん移り変わっていくものなのかもしれません。その中のひとつの答えをしっかりと手にしようとすることは、霞の中の一粒の水滴をつかもうとする行為に似ている。私はそう思います。

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人生の目標なんて、ぼんやりしているほうがいい

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