なぜ大相撲は「日本最古のスポーツ」と呼ばれるのでしょうか。
その起源は『古事記』や『日本書紀』に記され、神話の時代にまで遡ります。
いま再び世界が注目する大相撲の"本当の魅力"について、神社・お酒・歌舞伎・相撲など日本文化の様々なルーツがあるとされる山陰地方(鳥取・島根)で呉服店「和想館」を経営。和と着物の専門家である池田訓之氏が解説します。
相撲はいつ生まれたのか? 神話と史書が語る起源
先日の冬季オリンピックで、日本がスノーボードを中心に過去最多のメダルを獲得すると、外国人記者から、「相撲とスノーボードは日本の国技だ」なんてコメントが飛び出してきました。スノーボードが国技であるかはさておき、相撲が国技である点は、このように世界中が認めるところですね。日本相撲協会のHP上でも「国技である相撲道」と明記されています。
相撲の起源は、今から約1300年前(712年)に編纂された日本最古の史書「古事記」の中に記されています。舞台は実在の歴史以前、いわゆる"神話時代"。天照大神(あまてらすおおみかみ)が出雲の国を納める大国主命(おおくにぬしのみこと)に国を譲るように、建御雷(たけみかづち)を使者として遣わせますが、大国主命はこれを拒み、息子である健御名方神(たけみなかた)と相撲をさせます。建御雷に健御名方神は屈して、大国主命は出雲大社の建立を条件に出雲の国を明け渡したと記されています。
また「日本書紀」にも、垂仁天皇の前で当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)という二人の力自慢が相撲を披露したとの記録が残っています。これは紀元前23年頃、今から約2000年以上前の話とされています。
このように相撲は最も古い史書に記録があり、その後江戸時代の浮世絵にも相撲観戦シーンが散見できますし、現在も人気のスポーツです。そして昨年は大相撲の全6場所が満員御礼、ロンドン公演もチケット完売と、その人気は国内でも海外でも爆上がりなのです。
なぜ相撲がこんなに人気なのか?相手と組み合って倒すスポーツは、モンゴルのブフ、韓国のシルム、トルコのヤールギュレシなど他国にもありますが、日本の相撲には、武道や神事の側面がある点が異なります。どんどん変わりゆく世界の中で、古来より変わらない日本らしさが、日本人だけでなく世界中の人の目に新鮮に映るからだと思います。
大相撲は「武道」である
垂仁天皇の前で力自慢が相撲をとって以来、武士は心身の鍛錬として、つまり武道として相撲を取り続け、今の大相撲にもその精神が流れています。
力士には厳格な身分制度があり、横綱、大関、関脇、小結、前頭の約42名ほどが、「幕内」力士と呼ばれ、16時過ぎからのテレビ放送に、化粧まわしをつけて土俵入りをし、その後対戦します。その下に十両が存在し(28名)、この十両以上の70名ほどのトップランクが「関取」と呼ばれています。
そして関取の下の力士は、「幕下」と呼ばれます。幕下、三段目、序二段、序ノ口という階級から成り、なんと500名ほどの力士が関取を夢見て、研鑽の日々を送っているのです。大相撲の取り組みは朝の8時過ぎから始まり、テレビが映しだすのはトップの40人程だけなのです。
大相撲の勝敗を決するのは行司ですが、あの格好は、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)といって、武士の正装になります。行司にも力士と同じく格付けがあり、行事は自分と同じか格下の力士の取り組みしか裁けません。一番格の高い横綱と同位の行司は「立行司」と呼ばれ、直垂に烏帽子という武士の正装に、軍配、足袋、草履、印籠、そして短刀を備えています。「三役格」(大関、関取、小結)、「幕内格」、「十両格」と力士と平行して格付けがあり、「幕下格」以下になると烏帽子と直垂に軍配のみを備えて裸足です。軍配は軍陣を仕切る道具ですし、横綱と立行司が太刀を備えているのも武士の出で立ちになります。
また、勝った後にガッツポーズをしないことにも武道の精神が現れています。茶道、武道、相撲道…、日本独自の修業法には「道」という文字がつきます。この道は心を研ぐ道であり「禅」という精神修養の道です。「茶禅一如」、「武禅一如」との言葉があるように、「道」は「禅」の修行を伴い、目指すところは、所作を学ぶこと以上に心を研ぐことにあるのです。
相撲の世界では「勝負がついた瞬間、勝者は敗者の胸中を察して過ごすべし」と教えられます。敗者への配慮を忘れて喜びを表すのは心を平静に保てていない現れです。過去に勝ってガッツポーズをした力士が協会から厳重な注意を受けたことが何度かありました。相撲では注意で済んでいますが、剣道では勝利の喜びを表に出すと負けになります。
大相撲が今も神事である証拠
「古事記」で最初に相撲をとったのが、建御雷(たけみかづち)を健御名方神(たけみなかた)という神様であったように、相撲には神事としての流れもあります。日本に古来より流れる和の心とは万物に神様を感じて感謝し調和を重んずる心、相撲にも八百万の神への感謝の気持ちが流れているのです。
垂仁天皇の前での天覧試合は7月7日の七夕に開催されました、それは秋の豊作を祈願する日であります。現在でも、7月7日に「一人相撲」といって、神社で見えない相手である稲の精霊と村人が相撲をとって秋の豊作を祈願する地域があります。
大相撲の取り組み前には水で口をゆすぎ、塩をまいて身を清めて、四股をふんで大地を踏みしめます。また行事の「はっけよい」との掛け声は「八卦」つまり運気がよい、あるいは「初氣よい」つまり神々の祝福が得られているぞという、神様につながる言葉なのです。
勝った力士が懸賞金を頂くときには左右真ん中と三回手刀を切りますが、順に神産巣日神(かみむすびのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)という五穀豊穣の守り神への感謝を現しています。
また神社の境内に張られた綱は、神域を示す注連縄(しめなわ)であり、場を清め、結界の役割を果たしています。相撲においても土俵を囲む俵は円形の結界を形づくる象徴であり、横綱も注連縄を模した綱を締めて、場を清めて結界を張りめぐらしています。
そもそも土俵を作る際には「土俵祭り」といって、土俵に穴をあけて、塩、昆布、するめ、勝栗、洗米、かやの実といった縁起物を埋めて、行事が神官の装束を着て、五穀豊穣、安全、国家の安泰、興行の成功祈願をこめた祝詞をあげて初めて、土俵は完成するのです。
さらに、大相撲の土俵の上には大きな屋根が設置されていて、その東西南北の角には、青、白、赤、黒の大きな房が下げられています(厳密には、北東、南西、南東、北西になる)。これは青龍、白虎、朱雀、玄武という四方角の神様を祀っているのです。
相撲に「着物文化」が色濃く残り続ける理由
このように、武道と神事の側面を備えた相撲ですが、その「相撲道の伝統と秩序を維持」(日本相撲協会の目的より)していくために、大相撲の力士たちの装いは日本の伝統にならい着物姿と定められています。男性の着物姿の正装といえば、着物の上に羽織と袴姿です。相撲界では関取以上がこの姿に成ります。
関取になって一人前。それまでは相撲部屋の中でも個室は与えられず、独り立ちできていないので、袴の着用や白足袋までの着用は許されていません。入門してから序二段までは、「お仕着せ」と呼ばれる部屋の名前が入った浴衣の着用を強いられます。冬はお仕着せを重ねて着て寒さをしのぎます。三段目以上になると着物と羽織の着用が許されますが袴は履けません。
ちなみに、関取と幕下では着物姿の優劣以外に、月給(月100万以上)がもらえるか場所手当(隔月で7~17万円)のみか、大銀杏という立派な形の髷を結えるか、付き人がつくか、化粧まわしをしめて土俵入りができるか、懸賞金がもらえるか(6万円、幕内以上)、稽古や風呂食事の順番までも異なります。
大相撲ブームは、若者や外国人ファンの増加も一因です。それは大相撲が単なる力比べのスポーツではなく、武道であり神事であり、常時着物を装い、古来から日本に伝わる芸術文化を守り続けているからでしょう。あるいは、相撲中はまわしで、それ以外は着物の帯でぐっと肚を締め丹田に氣を落とし、自我をコントロールする、その凛々しい姿が清々しく映るからではないでしょうか。