福岡県で喫茶店「Sounds Food Sounds Good」を家族と営むはらだまさこさんは、2023年頃、国の指定難病であるALSと診断されました。筋肉を動かすための神経が障害を受け、だんだんと身体が動かなくなっていく病気です。
著書『もしもキッチンに立てたなら』には、はらださんのエッセイとレシピが収録されています。日に日に病が進行し、キッチンに立つことができなくなってからも、自身の味を家族に食べてもらいたいと、レシピを書き綴っているといいます。
※本稿は、はらだまさこ著『もしもキッチンに立てたなら』(徳間書店)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「台所に立ちたい」という願い
ついこの前まで当たり前だったことが、だんだんできなくなる。その状態になって、2年以上が過ぎました。
手に力が入らなくなる感覚は、ただ不便というレベルではなく、自分の一部がふっと消えていくような、どうにも説明しがたい喪失感があるのです。
どうしても受け入れられず、病気が進行し始めた当初は、息苦しさで押しつぶされそうでした。
病気がわかってしまって、ずっと泣いていたある日のこと。「なんで、わたしはこんなに泣いてばかりいるんだろう」と考えました。そして、「できなくなったことの中で、一番つらいのは何だろう?」そう自分に問いかけてみたのです。
歩けなくって自由が失われたことか、子どもの髪を乾かしてあげられなくなったことか。時間をかけるまでもなく、答えはすぐに浮かびました。
「キッチンに立てなくなったことだ」
もう一度、キッチンに立ちたい。この手で子どもたちのお弁当を作りたい。お客様の笑顔が見たい。そんな当たり前だった時間が、どれほど奇跡的で、どれほど貴重だったのか。改めて「わたしの日常」の尊さを思い知ったのです。
このシンプルな思いは、どれだけ諦めようとしても、心の奥でゆっくりと燃え続けているのだと気づきました。歩けなくても、話せなくても、この手で料理さえできれば、きっと受け止め方は違っていたと思うのです。
料理はわたしの自己表現そのものでした。高校時代に重ねた油絵の色、専門学校で学んだグラフィックデザイン、通信制大学で学んだ陶芸の土の手ざわり、海外で美味しいものを求めて歩いた時間──これまで経験してきたすべてのことが、料理へとつながっているのです。
だからこそ、病によってその「生き方」が突然閉ざされたとき、わたしは自分の「生きる理由」をどこに置けばいいのかわからなくなってしまいました。まぎれもなくわたしの生きがいで、わたしらしさそのものだったのです。
最後のキッチン
2023年8月。すでに車椅子生活ではありましたが、なんとかお店には出るようにしていました。その日はいつも通り、ケーキを焼いていました。
ところが、オーブンから天板を取り出そうとした瞬間、腕に力が入らず震えてしまい、どうしても持ち上げられない。横に移動しようとしても、少しの段差が越えられない。
「ああ、これがお店のシェフとしての最後の日なのね」
と、静かに理解しました。常連のお子さんのためのケーキを作りながら、涙がとめどなくこぼれました。わたしたち夫婦で作り、大切に育ててきた喫茶店。訪れる人たちの笑顔。「ありがとう」と「悔しい」という思いが混ざって、胸がいっぱいになり、その夜は眠れませんでした。
お店での料理が難しくなっても「家族のごはんだけは」と思い、ギリギリまで台所に立ち続けようと思っていました。体力的に可能そうなレシピを選び、キッチンに手すりを取り付け、家族に助けてもらいながら鍋を火にかける毎日。しかし、その日はあっけなくやってきたのです。包丁を握る、鍋を持ち上げる、そのすべてが難しくなり、ついに料理を諦めざるを得なくなってしまったのでした。
2023年11月、訪問ヘルパーさんに料理をお願いすることを決めました。ほかに選択肢はありませんでした。
ですが、問題は、わが家が自然派仕様であること。電子レンジなし、炊飯器もなし。蒸すには木の蒸篭、ご飯は土鍋。申し訳なくなるほど、独特な台所です。
そして、もちろん作っていただけるのはありがたいけれど、味の組み立て方、素材の扱い方、火の入れ方、何もかも、わたしが積み重ねてきた「わたしの味」とは違う。当然と言えば当然です。きちんと美味しいものを作ってくださるのですが、どうしても味覚が受け入れてくれないのです。
「やっぱりわたしの料理が食べたい。家族にも食べさせたい」
その思いがふつふつと湧き上がり、ひとつの結論にたどり着きました。
「わたしがレシピを書けばいいんだ」
お店でも家でも分量を量らないわたしが、頭の中のイメージを文字にし、家族やヘルパーさんに作ってもらい、わたしが味の最終チェックをする。そんな新しい「わが家だけの料理の形」が生まれたのです。それを見つけた瞬間、心が少しだけ軽くなりました。
スマホで綴るレシピと、祈り
レシピはすべてスマホに書き込んでいます。レシピを書くと思い立った当初は指が動き、スイスイと入力できました。でも、日が経つごとに力が入らなくなり、小さなサプリメントさえつまめなくなった頃、「進行している」とさらに強く実感するようになりました。
指先で画面を押すのが辛く、第二関節で操作します。ALSになってわかったのですが、手の指って、まっすぐ伸ばすのにも筋力が必要。身体の筋力がなくなっていくわたしの体は、指が曲がったままになり、伸ばしにくくなりました。
疲れる日は音声入力に切り替えていたのですが、喉と呼吸する筋力が衰えてきてからは声が小さいせいで認識されづらくになってしまい、何度も歯がゆい思いをしました。悔しさのあまりスマホを投げてしまうことも。でも、投げたスマホを自分で拾うこともできず、情けない思いをする、の繰り返しです。
それでも、わたしはスマホに向かうことをやめられませんでした。「このお弁当を作ってあげたい」「このスイーツを食べさせたい」そんな思いが、わたしの毎日の原動力でした。指が動かなくなっても、声が出にくくなっても、レシピを書き続けさせてくれるのです。
レシピを考えているときの頭の中は、病気になる前と何ひとつ変わっていませんでした。いつの日か、タカラやリンがこのレシピを手に、料理をしてくれる日が来るかもしれない。そのときにわたしが側にいなくても、味や記憶を思い出しながら、わたしの「母の味」を再現してくれるかもしれない。
夢中で書きためたレシピは、気づけば100を超えていました。この本に収めているレシピも、このなかから選び出したものです。
もし病気がよくなったら、積もったレシピたちを見ながら、思いきり料理をしたい。子どもたちと一緒にキッチンに立ちたいです。