真の「グローバル化」とは何か?―「世界で戦える人材」を育てるために
2013年07月18日 公開 2024年12月16日 更新
《PHP新書『「世界」で戦える人材」の条件』より》
「日本列島にはモヤがかかっている……」
2007年夏、25年ぶりに日本に帰った私はそう感じた。スモッグによるモヤではない。「情報のモヤ」である。
世界は激しいスピードでその仕組みや価値観を変えているのに、日本人はグローバリゼーションの衝撃をまったく感じていないように見えた。
どうなっているのだろうと、識者といわれる人たちに次々にお会いした。大企業の経営者、マスコミ、学者といった人たちだ。だが、グローバル化の真の意味を理解している人はほとんどいなかった。
「グローバル路線」を標榜し、そうした広告も出していたメガバンクを訪問したが、内部はグローバル化とはほど遠かった。グローバル化の重要性をいつも強調している主要新聞の幹部の方は、「私どもは超ドメスティックですからね」と笑った。
大企業の会長クラスになると、さすがに状況を正しく理解している人も多かった。だが、彼らに今さら、日本のグローバル化の先頭に立ってもらうのも酷な話だ。
なぜ、日本はこれほどグローバル化の波に乗り遅れてしまったのか。
1つは、グローバル化のきっかけとなったソ連邦崩壊とほぼ同時にバブル崩壊という事件が起きたため、日本人の目が国内に山積みとなった問題に向いてしまったこと。そのため、世界の大変動を見損なってしまったのだ。
実際、日本に来て、多くの重要な情報がきちんと伝わっていないことに気づいた。インターネットにしても、貿易のルールにしても、その本当の衝撃を伝えるメディアは少なかった。たとえば、世界的に「カイゼン」から「ISO(国際標準化機構)」へと移りつつある時代に、日本ではまだカイゼン力を最大の強みと捉え、世界的に通用するものだと思い込んでいた。
他にも、すでに何十年も前の情報が最新情報として入ってきたり、すでにアメリカではその問題点が指摘され、危機管理体制が敷かれているような制度が、今さら日本に導入されたりしていた。まさに支離滅裂な状態であったのだ。
幸いだったのは、私が若い頃にカナダ、そして米国へ渡ったことで、日本がバブル崩壊の後遺症に悩むまさにその時期に、日本の外からグローバル化の衝撃をじかに感じ取ることができたことだ。
私はアメリカで人材教育の分野で起業し、珍しい日本人の女性起業家ということで注目もされ、多くの名だたる大企業をクライアントに持つことができた。また、子どもの教育の世界にも参入した。
そして、世界的に事業を展開する大企業の人材教育を手がけていたことにより、いち早くグローバル化の流れに反応することができた。アメリカにおける「グローバル教育」の分野では、私は第一人者の1人として認識され、多くの企業から支持を得ることができた。
「最先端の現場で培ったグローバル教育のノウハウを、日本にも広めたい」
その思いで日本に帰ってきた私だったのだが、途方に暮れてしまった。あまりに問題が大きく、何から始めていいのかわからなかったのだ。
一般社団法人を作る。グローバルビジネス研修を企業で行う。講演をする。中高生にグローバル教育を行う講師を育成する……。ただ、どれもそう簡単ではない。
私の言葉をきちんと理解してくれる人がいないという問題もあった。当時、すっかり英語に慣れてしまって、日本語能力が一時的に落ちていたこともあるかもしれない。だが、情報の格差のせいで、グローバル化の本当の意味がなかなか伝わらないことが、より大きな問題であった。特に、一緒に活動していた人に「誇大妄想ではないか」と言われたのはショックだった。世界で進んでいるグローバル化も、世界全体としっかり向きあって生きていない人には誇大妄想に映ってしまうのだ。
それでも私は「あと5年もすれば、日本でもきっとグローバル化が重視される時代が来る」と信じていた。
実際、2010年頃になり、大企業のいくつかが急にグローバル化に乗り出した。政府もグローバル人材育成の支援を始め、まさに「グローバルブーム」と呼べるようなものが出現した。先日までまったく関心のなかった人たち、そしてメディアも企業も学校も、いっせいにグローバル、グローバルと言い始めたのである。
本来なら望んでいたはずのことだが、私の心はまったく晴れなかった。それは、日本人が言うところの「グローバル化」が、見当はずれの代物だったからだ。
何が見当はずれであったのかは、これから本文で解説していくが、要点だけお話ししておこう。
1つは、「国際モデル」と「グローバルモデル」は異なるだけでなく、視点・発想が正反対だということ。そして、それを取り違えた「グローバル化」はむしろ有害ですらある、ということだ。
国際モデルとはインターナショナルモデル、つまり国と国の間の関係である。一方、「グローバル」とはGlobe(地球、球体)という語が語源になっていることからも明らかな通り、地球規模の視点である。日本で行われるグローバル化はほぼ、「インターナショナル化」でしかなかったのだ。
こう言うと、「では、どの国で用いられているグローバルモデルが正しいのでしょうか」と聞いてくる人がいる。そこからすでに間違っている。多くの国がそうなら信じるという追従型の発想をやめるのも、新しい時代の重要な条件だ。
「国際モデル」のままグローバル化を推し進めようとすると、せいぜい英語力を強化しようとか、外国人を積極的に採用しようとか、社員を海外に出そうとか、そうしたレベルに留まってしまう。そのことに意味がないとは言わないが、一歩間違えると、それが日本の競争力をそぐことにもなりかねない。
私はグローバル時代においては、人は民族的背景に左右されることなく能力だけで評価されるべきだと信じている。だが、やはり日本人である以上、日本という国家、そして日本人にもっと活躍してほしいというのが切なる願いだ。そのためには、日本人のDNAを大事にしながら、世界の価値観を共有するという2つの軸を持った思考が必要だ。
日本には、今さらながら驚くほど豊かな伝統と技術がある。日本人が(日本人だけの思い込みではなく)グローバルな潮流にぴったりあったマインドセットに切り替え、時代の先を行く学習方法を身につけられれば、日本はきっと世界に冠たる国として、再び復活することができると信じている。
(あつみ・いくこ)
株式会社グローバル教育社長
社団法人グローバル教育研究所理事長。株式会社グローバル教育社長。青山学院大学卒。青山学院大学助教授を経て、ハーバード大学研究員となる。1983年にボストン郊外で米国初の異文化マネジメント研修会社を設立。「タイム」誌に紹介されるなど一躍話題となり、数多くのグローバル企業で人材育成や世界市場戦略策定を担当。顧客企業にはIBM、フォード、ゼロックス、ボシュロムといったフォーチュントップの大企業が名を連ね、特にデュポンワールドワイドとユナイテッドテクノロジーズの2社では、15年にわたって重役教育を担当した。中でも、独自開発した〈文化の世界地図〉は、グローバル教育の基礎ツールとして多くの企業で使われている。2001年にはシンガポールを拠点にアジア市場にも参入。2007年に帰国後は、多くの日本の大企業においてグローバル人材教育を担当する一方、子どものグローバル教育の普及にも尽力している。超党派政策シンクタンク「国家ビジョン研究会」教育分科会副会長。
<書籍紹介>
グローバル企業で30年間伝え続けてきた
「世界で戦える人材」の条件
世界各地で活躍し、「TIME」誌にも取り上げられたグローバル人材教育のプロが、「世界で活躍する人材」になるための方法を説く。