《PHP新書『40歳以上はもういらない』より》
体制側が自信をもっていた時代
1967年11月10日、佐藤栄作首相訪米阻止の羽田闘争が巻き起こったときのことである。
当時、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターだった私は、ヘルメット姿の学生たちと機動隊の真ん中に陣取っていた。学生の1人が投げた火炎瓶が同行のカメラマンの足に当たってポロッと落ちた。ところが、カメラマンは平気の平差で、火炎瓶を蹴飛ばして撮りつづけていた。まさしく反体制の時代だった。
羽田闘争のあとの1968年、学生たちの反乱は燃え広がっていった。
体制とは何か。すなわち権力である。戦後生まれの団塊の世代(1947~1949年生まれ)を中心とする、いわゆる全共闘世代は、その権力に向かって火炎瓶を投げつけた。当時の彼ら若者たちにとって、それは1つの大きな「生きがい」であった。
1969年1月、学生たちが立て籠もった東京大学安田講堂が陥落、反体制の時代は転機を迎える。このときから、全共闘運動を中心とする「若者たちの反乱」は、しだいに下火になっていく。
1972年を日本では「福祉元年」という。このとき日本は、福祉のレベルでようやく先進国に追いついたとされている。時の自民党政権は福祉に力を入れる一方で、減税に次ぐ減税を断行した。公共事業をガンガン行なって、地方に金をばら撒いた。国民はみんな満足。不満があろうはずがなかった。
自民党政府はなぜそのようなことができたのか。自民党の政治家たちに特別の能力があったわけではない。高度経済成長が続いていたからである。高度成長で景気がいい。企業は儲かる。高額の税金を払う。そのために国の歳入はどんどん増える。まだ高齢化の時代ではなかったので、歳出は増えない。だから国家に金が残る。そして政府は余った金を国民に還元する。減税、そして福祉を手厚くした。明日は、明後日は、今日よりも生活が楽になる。多くの国民がそう信じていた。
こうした時代には権力者、体制の側も非常に自信をもっていた。たしかに新聞や週刊誌は政府を批判しつづけた。密室政治はよくない。談合はけしからん。政治家は悪だ―――。世論も一緒になって責めた。でもそれは、あくまで表向きのこと。批判しながらも、国民は政府のことを信用していたのだ。いまのように国家が財政破綻の危機を迎えるなど、誰も思っていなかった。
日本で権力者という呼び名にふさわしい政治家は、中曽根康弘氏で最後だと思う。
討論番組『朝まで生テレピ』(テレビ朝日系列)のスタートが1987年。第1回目のテーマは「激論!中曽根政治の功罪」だった。中曽根氏はそれまでタブーとされていた「防衛費1%」の増額に手をつけた。体制の側に自信があるからできたことだ。
ところが、1988年にリクルート事件が起こった。時の首相であった竹下登氏は責任をとって退陣。自民党のほぼ全派閥のトップが致命的なダメージを受けた。その後、宇野宗佑氏や海部俊樹氏など、それまで周囲の誰も首相になるとは思っていなかった政治家が相次いで首相となる。野心も理念も信念もないリーダーのもと、1989年、世界は東西冷戦が終結し、日本はバブル経済の崩壊を迎えた。
政治家たちはもはや「隣のおっさん」
バブルが弾けたあと、当時の首相であった宮澤喜一氏は、金融機関が抱えている不良債権の買い取り機関を設立し、必要ならば公的資金を投入すると表明した。1992年夏のことである。しかし大蔵省は、公的資金の投入を認めれば自分たちの政策の誤りを認めることになる、と猛反発した。官僚の無謬性、つまり官僚はいかに国益を損ねても、絶対に誤りを認めないのである。マスメディアも、銀行を国民の金で救うのは不当だと愚かにも言い立てて、公的資金の投入に反対。もしこのとき、不良債権の処理がなされていれば、日本経済はもっと早く回復軌道に乗っていたのではないかといわれる。
1993年5月、宮澤氏は首相の座を降り、細川護熙氏の非自民政権が誕生する。以降、日本の内閣は5年5カ月の小泉政権を除いて、いずれも短命政権となった。権力者と呼ばれるにふさわしい政治家は現れなくなった。
バブルが崩壊し、一転、不況の時代となると、どの企業も不振で税金が払えない。しかもちょうどそのころから、日本は高齢化社会となった。年間に1兆円ほど社会保障費が増えていく。高度経済成長の時代には、政府の仕事は国民への利益の分配であったが、歳入よりも歳出が多くなったことで、負担を分配するしかなくなった。政治家の仕事は、利益の分配から負担の分配へと変わった。当然ながら国民の不満は強くなる。
高度経済成長の時代には、国民の誰もが今日よりは明日、明日よりは明後日が豊かになると信じていた。ところが、不況の時代はそうもいかない。むしろ、将来の展望が見えなくなる。一方、自民党の政治家は、どんどん不況になるなかで借金を増やしていった。歳入より歳出が多い時代となったのだから、福祉を減らすか、増税するしかないが、これをやると国民からは総スカンを食らう。政治家もどうすればいいかわからない。暗中模索。周章狼狽。打つ手は見つからない。当然ながら、自信を失う。
こうした有りさまをみながら育ってきたのが、本書『40歳以上はもういらない』の対談に登場する現在30歳前後の若者たちである。物心ついたころから、不況の世代だ。不況を前に自信を喪失する政治家たちは、彼からすれば、もはや権力者でも実力者でもなんでもない。危機を前にオロオロするだけの「隣のおっさん」と変わりがない。
だから、昔と違って全共闘運動のような激しい反体制運動が起きる火種もない。どこかの「おっさん」を倒したところで、面白くもなんともない。本書に登場する認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏がはっきりいっているが、「もう倒すべき体制はなくなった」のだ。火炎瓶の投げ先は消えたのである。
詐しくは、私と駒崎氏の対談を読んでもらうとして、そもそも、日本ではなぜバブルが弾け、不況が長く続くことになったのか。
スイスの民間調査機関IMD(International Institute for Management Development)が発表している「世界競争力年鑑」によれば、日本の国際競争力は、1990年代初頭までは第1位だった。それが2012年は27位。なぜこれほどまでに凋落したのか。
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