感情を即座に消し去ることは誰にもできません。けれど、怒りを抱えたままでも「次の行動」を選び直すことはできます。怒りの奥に隠された自分の思い込みに気づき、理不尽な現実のなかで静かに一歩を踏み出す。人生の予期せぬ困難を軽やかに乗り越えるための、生き方の姿勢について考えます。
※本稿は、原田祐紀著『自分らしく生きるための 心を整える習慣 ざわつきをしずめるやさしい仏教の教え』(KADOKAWA)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
怒らない人ではなく 怒りに振り回されない人
怒りの背景には、自分の願いや思い込みが隠れていることもあります。
その怒りにとらわれると、心は苦しくなっていきます。
怒りを感じたら立ち止まり、その怒りを見つめ、行動を選ぶ。そのうえで、どう振る舞うのかを考えるのです。
怒らない人は、怒りを感じていないわけではありません。腹が立つことも、イライラすることも当然あるでしょう。
しかし、その感情に振り回されない。なぜなら、怒りの奥にあるものを見ようとしているからです。
仏教では、貪り、怒り、愚かさを「三毒」といい、私たちを迷わせ、苦しませる心の働きとして見つめます。
怒りには、自分の内側のとらわれが深く関わっていることがあります。だから、怒りに振り回されない人は、怒りを感じたときに立ち止まるのです。「いま、私は何に傷つき、何を守ろうとしているのだろう。そこに、自分の思い込みはないだろうか」と。
感情をすぐに静めることは難しくても、少し時間を置いて、行動を選び直すことはできます。
怒りをなくすのではなく、その感情を抱えたまま、相手を傷つけない道を探していくのです。
理不尽にどう向き合うか そこに生きる姿勢があらわれる
思いがけず、理不尽な出来事に直面するというのは、誰にでも起こりえます。
大切なのは、そこでどう向き合うか。理不尽な出来事には、すぐに答えを出せなくてもかまいません。
まずはできることから、一歩動いてみるという選択もあります。
写真家として活動していたInstagramのアカウントが、突然凍結されました。フォロワーはその時点で4万5000人。ここまで育てるには、相当な時間を費やしてきました。
異議申し立てをしましたが、却下されました。違反の心当たりもなく、私には理不尽な出来事に思えました。怒りも湧きました。
もちろん、何が起きたかは大きな問題です。しかし、そのあとにどう動くかも大切です。
落ち込んだ気持ちや怒りに心を占められる時間もありました。そうした気持ちを抱えながら、少しずつ、今できることを考え、私は2つのことをしました。1つ目は、新しいアカウントをつくり、活動を再開したことです。2つ目は、運営に相談し、正当な手続きを通して復活の可能性を探ったことです。
嘆く気持ちを抱えながらも、できることから行動に移すことにしました。理不尽な出来事を避けられないとしても、そのなかで何をするのかを、時間をかけて少しずつ選び直すことはできます。