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西加奈子さんが『きずもの』執筆を通して気づいた「時間をかけて本を読む」意味
2026年10月23日 公開
小説家・松川貢(まつかわみつぐ)は、郷里の幼馴染み・田持猛(たもちたける)とゆるやかにSNSで繫がり続けている。運動が得意で人気者だった猛は、貢にとって仰ぎ見る存在。
一方、貢と某写真家のパーティーで出会った遥(はるか)は、ある出来事を機に日本を離れ、カナダ・バンクーバーで生活する親友・万千花(まちか)とルームシェアをしていた。
70年代生まれの貢・猛と、90年代生まれの遥と万千花、異なる時代を生きてきた二組の幼馴染みそれぞれの上に降り積もってきたものとは――。
5年ぶりの長編小説『きずもの』は西さん初の新聞連載小説。依存症について専門家への取材を重ねたことをはじめ、時間をかけ、登場人物たちと向き合い、書きあげた本作について伺った。
(取材・文=河村道子/撮影=若木信吾)
※本稿は、『文蔵』2026年12月号より、内容を抜粋・編集したものです。
世の中の急激な変化に関する違和感
――本作は新聞連載でしたが、執筆にあたって意識されたことはありますか。
【西】新聞連載が1年以上になることは決まっていたので、それだけ長いものを書くのであれば人の人生を書きたいなと。私は小説を書き始めるとき、「これが書きたい」ではなく、「これが気になっていたんだ」ということが、テーマになることが多いんです。
今作では、ここ10年ほど違和感を抱いていた違法薬物を使用した人への世間からのバッシングでした。著名人だと、逮捕される瞬間が映像で流されるなど、その見せしめ感がずっと気になっており、このバッシングの苛烈さは何だろうと考えたとき、誰かが誰かを罰したい気持ちから来るのではないか、罰することでの快楽を求めてしまってるんじゃないかと思ったんです。
さらにこの十何年、世の中のいろんなことが急速に変わってきた。変わっていくことはもちろん素晴らしいけれど、過去の自分を「こんなの違う」と無きことにするのはどうなんだろうとも思っていて。そうした様々な思いが、一行書いた途端、溢れるように出てきました。
――"松川貢が木下遥に出会ったのは、彼の幼馴染みが、自宅に火をつけようとした夜だった"という一行から、物語は始まります。
【西】この一文が出てきたとき、主人公には幼馴染みがいる、その人は――と物語が広がっていきました。プロットを立てて書いていったというより、貢に寄り添った結果、猛の存在が色濃く出てきて、遥からは万千花という人物が出てきました。
――主要人物はこの4人ですが、貢の妻やその友人、猛の妻や娘たち、遥と万千花が出会うバンクーバーの人々にもスポットが当たる大群像劇です。
【西】『サラバ!』も自分をどこに連れて行ってくれるかわからない小説でしたが、本作はさらに、でした。例えば貢の妻・頼子(よりこ)のことは最後までわからなかったし、頼子の友人も貢と頼子が出会うきっかけを作った人として登場していただけだったんです。でもいつの間にか大切な登場人物になっていって。
執筆中、感じていたのは、すべてのことが凄まじいスピードで進んでいくこの世界で、小説を書くことは、むちゃくちゃ時間がかかるということ。けれど時間と手間をかけるプロセスは、実生活で初めて会った人を知っていく過程とすごく似てるなぁと。
登場人物たちとは毎日一緒にいたので、結果、どうなったかというと、最初は「なんやねん、こいつ」と思っていた貢のことが、嫌えなくなってしまったんです。
一面だけ見れば、簡単に嫌いになることはできるけど、知れば知るほど、人間が多面的であることに気づかされていって。人を知るには時間をかける必要があるということを教えてもらった、自分にとってすごく大切な小説になりました。
人間関係を築くには時間がかかる
――貢は、「最近の子」に、"こっち来んなジジイ!"と言われることに過剰に反応してしまうような、時代の風潮に乗れていない人です。
【西】そうですね、反応しすぎて自分を見失うくらいに。「自戒を込めて」ですけど、なぜ失敗するかというと、自分の行動原理を時代に合わせよう、あるいは非難されないようにしようと自分のことばかり意識するからだと思うんです。
対人関係って実はシンプルで、相手のことを尊重し、誠実に人間関係を築くことをスタート地点にすれば、おそらくそんな失敗はしないと思う。今はあまりに皆、時間に追い立てられていて、その時間がない。貢と私が時間をかけて、わかり合えたように、人間関係はゆっくり築いていくもののはず。長い時間が必要なんじゃないのかなと思います。
――貢は憎めない人ですね。
【西】許せない部分も確かにありますが、結局はそう思うようになりました。貢や私、その少し上の世代の実感として、10代の頃、「不良だけど実はいいヤツ」という子がイケてるという認識が大きかった。学校でも運動ができ、ヤンキーの子の方が人気者だった。
一方、一生懸命、勉強をしている子たちの評価は低かった。その辛さを貢に託したんです。たくさん勉強して努力を重ねているのに、周りから「ガリ勉」みたいな扱いをされたらやってられないよね、あなたくらい繊細で世の中への解像度が高かったら、そんな育ち方をしちゃうよね、と。
――"女性であるというだけで、とりあえずその人との情事を思い浮かべてしまう"貢は、ある時期から性欲に翻弄されるようになり、そこで遥とも出会い、ある事件に巻き込まれていきます。
【西】日本で、自分の世代に限ってですが、女性は、性欲自体が穢(けが)らわしいものである、という空気のなかにいた。一方で男性は、性的に奔放なことを誇りにしている人もいて、そんな不均衡さにもずっと違和感を抱いていたんです。それがこの小説を書くなかで結実してきたというか......。
世界がどんどん変化し、表向きはコンプライアンスが重視され、生きやすくなったように思うけど、蓋を開けてみたら、ここ、まだ止まっている、とも思うものもある。そうした変わっていくものと変わらないものを書きたかったのだと思います。
自分が使う言葉を再認識する
――第二部の遥と万千花の話は、まさに変わっていくものと変わらないものの物語です。
【西】2人は幼少期から20代までの時期を共有し、生きてきたソウルメイト。万千花も遥も時代の最先端を突っ走ってきた子たちです。特に万千花はイケてる子で、万千花がイケてる方向に舵を切った結果、バンクーバーという街で、周りの反応や環境に敏感になった。それに対し、遥は「万千花、かっこいい」と思う反面、自分からどんどん離れていく気がして寂しい。
書いていて、どちらの感情もわかる。2人の間には苛烈な愛があり、その感情は2人にしかわからない。昔のようにまったく同じではいられないけれど、この2人が手を取り合い、彼女たちの速度と言葉で、世界を良いものに変えていけたら――という希望を遥と万千花に託していました。
――西さんが3年暮らしたバンクーバーで感じていたことが、2人には流れ込んでいる気がしました。英語圏で暮らす彼女たちが、英語で話しなよとか、日本語で話しなよ、と言い合う場面が印象的です。2人の会話自体は、日本語で書いてあるのに、これは英語で話している、と思うところもありました。
【西】それ、指摘していただいてうれしい。言語から来る距離感ってありますよね。例えば私が子どもを叱るとき、「あかんねん。それ」ではなく、標準語で「ダメだよ。それ」と言った場合、同じことを言っているのに自分と距離ができるんです。
バンクーバーで暮らしていたときも努力して英語で話していたのですが、やっぱり何か、紙が1枚、挟まっているようなもどかしさがあった。それが昨今の、急激に日本に入ってきた言葉、たとえば「シスターフッド」や「搾取」「特権」などにも感じてしまうところがあるんです。
大切な言葉だと思うのですが、どこかまだ英語みたいなイメージがあるんですよね。だからそういう言葉を万千花が言った時、日本語なのに日本語に聞こえないと遥も感じてしまったのだと思います。
「シスターフッド」も「連帯」も、その言葉に馴染んでる人はいいけれど、そうでなければ、自分たちの言葉を使ってもいいんじゃないか、というのも、この小説で書きたかったこと。書きたかったというか、遥が叫ぶようにして著者である私に要請してきました。
――それまでのストーリーが一気に収斂される第三部を読んだとき、以前、西さんが語っていた「自分はたった一人の自分でしかないということを実感する瞬間というのを、手をかえ品をかえ書いてきた」という言葉が響いてきました。
【西】自分の人生しか歩めないですもんね。第三部は、何とか光を見いだせたらという思いで書いていました。冒頭と最後では、最後の方が悲惨になっている登場人物が多いのですが、それでもそれぞれの世界に対する見方が変わり、光を持って終わっているのではないかなと。
――読者の方にこの物語を手渡すとき、どんな言葉を添えたいですか?
【西】ワンクリックで何にでも出会えるこの時代、本を読むのは時間がかかる。でも本を読む速度って実は昔から変わってないんですよね。あなたの時間をとってしまうけれど、私も書くことに時間をかけた。それは人を知っていくプロセスとすごく似ていたので、読んでくださる方も、時間をかけて読んでくださったら、登場人物一人一人と何か対話ができるのではないか、ちょっとずつでいいので彼ら、彼女らを知っていただけたらと思います。